アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

 

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2018/08/15

夏の土用の二日間


夏の土用の二日間
之良也末比女さまをおむかえに若狭古志路をゆく     華林


  閼伽井戸に、カワズの游ぶ
うつくしき しらやまむけて とりのとぶ くものいさなふ うしとらのかた
  美しき 志羅山むけて 鳥の飛ぶ 雲のいざなふ 丑寅の方

  かなかなかなかな かなかなかなかな … …
きんすずの あもりたるちに ことをあげて きんすずのなる ひぐらしのこゑ
  金鈴の 天降りたる地に 事を挙げて 金鈴の鳴る ひぐらしの声

  なかきよをへて
かみのまへ みこふるすずの たまとなり うつくしきひめ とにいであそばす
  神の前 巫女振る鈴の 玉と鳴り 美しき比女 外に出で游ばす

  なぬかのち
つばきさす りゅうわうのまへに ゆうたれありて くろきまなこの ひめかみあそばす
  つばきさす 龍王のまえに 木綿垂れ在りて 黒き目な子の 比女かみ遊ばす

 


 

2018/06/16

旧暦 5月 皐月朔日 富山県内の大きな瀧にて


旧暦 5月 皐月朔日 富山県内の大きな瀧にて   華林

 何時にも増す水量、轟音‥‥
たきあらあらし あめかぜもあらし くもましろ しょうみゃうすがたなし 
ことごとぬれぬ
  瀧荒々し 雨風も荒し 雲真白 称名姿なし 事々濡れぬ


 人も鳥も、いろいろなことをお教えになられた‥‥
らんかんに たてとをしへし ひとのありて しもなるはしで ことすたきつせ
  欄干に 立てと教へし 人のありて 下なる橋で 事す滾つ瀬

 


 

2018/06/11

旧暦 4月 卯月26日 東京、江戸川橋にて


旧暦 4月 卯月26日 東京、江戸川橋にて 二首  華林

 鯉(こい)より大きいような‥‥
かんだかは ぬたりぬたりと いをみたり ビルのはざまに あめつちむすぶ
  神田川 ぬたりぬたりと 魚三たり(見たり) ビルの間に 天地結ぶ


 カンビールを飲む人たち、カップル、母と子、夫婦‥‥
あめつちを むすぶかはべに つどふこら こころあそぶなり えどのけしきか 
  天地を 結ぶ川辺に 集ふ児ら 心游ぶなり 江戸の景色か

 


 

2018/05/29

こゑを聞く、二首


こゑを聞く、二首        華林

  2018年 旧暦 4月13日  夕刻   富山県高岡市の古社にて
ふしきなる すぎのこむらに ことをあげて あけまくをほぐ とりのこゑきく
  伏木なる 杉の樹群に 言を挙げて 明けまくを祝ぐ 鳥の声きく




  同日夜  犀川のほとり、ここ数日は美しい月夜   石川県金沢市
よなよなに かわずなくこゑ のぶとくて つきにもとどく あをくものそら
  夜な夜なに かわず鳴く声 野太くて 月にも届く 青雲の空


 


 

2017/06/15

「カキツバタ」の由来と「菊」の謎


夏は水草の季節ですが、清流に咲くカキツバタの花も終わり、ハナショウブもそろそろ終わりです。フトイやコウホネ、スイレン(ヒツジグサ)、ハスなどはまだまだ盛りでしょう。
江戸をふくめ、日本中の多くの都市がかつては水の都でした。清流や美しい池が多かったのです。水草は暑さを和らげるものとして、また美しい水の精として古来、室内に生けられ喜ばれています。
しかし残念ながら、気候の変化のせいでしょうか、江蒲艸などとも書かれて江戸の生け花にもよく登場する太藺(ふとゐ)は今は絶滅危惧種です。かつては金沢の兼六園の金城霊沢の横の池に林立するように生えていて感動したフトイも、今は跡形もありません。栽培しているものは別として、野生のフトイを目にすることは難しい時代になっているのです。
さて、花の名前の由来は関心がある話題のようで、さまざまな記述を見かけます。
カキツバタ(杜若、燕子花)は、杜若と書くとき、中国語ではまったく違う植物を指したそうです。この言葉が日本に渡来してからカキツバタを示すようになったのです。杜若以外にも同様の例はいくつもあるようです。
カキツバタの名前の由来では、カキツケバナ、すなわち衣服に花の紫の色を付けたところからきたもの、という説明をよくみかけます。そんな情景は古典に登場するようですが、しかし語感からみて不自然さを感じてしまいます。
カキツバタは古くはカキツハタとよまれ、万葉集では加吉都播多、垣幡、垣津旗(いずれもカキツハタとよむ)などと書かれます。「カキ」は「垣」の意味と思います。
「垣」は古い言葉で、古事記のなかのスサノヲノミコトの和歌、ヤクモタツ‥で始まるよく日本で最初の歌とされる和歌ですが、そこに三度も登場する語です。北極星のあたりの天の貴い一画を「紫微垣(しびえん)」と呼んだのも古代中国に由来する古い言葉です。今日の垣根、石垣などの垣と同様の意味と考えてよいでしょう。「ツ」は「沖ツ白波」「天ツ風」「国ツ神」などの「ツ」と考えるのが妥当でしょうか。○○の、あるいは、○○にある、の意味です。貴いものをあらわす言葉につくことが多いようです。
「ハタ」は文字通りの「旗」です。「幡」もまた旗の意味でよく使われた漢字です。古代のまつりごとでは高い旗がよく登場します。旗は古代においては間違いなく貴い、印象的なものととらえられていたのでしょう。
清流に美しい垣根のように生えるカキツバタの葉の緑の群れに、紫の旗が数多く掲げられているように見える、という情景からカキツハタの名前が付けられたものと考えます。
その高貴の色を衣服に刷り込んだのは、呪術的な意味が強いことでしょう。
さらに、名前のミステリーの最右翼は「菊」でしょう。
万葉集に菊が登場しないのは有名な話です。そこで、当時は異なる名前で呼ばれていたとか、菊は日本に存在しなかった、などなど推論を呼んでいます。
四世紀後半から五世紀前半を生きた陶淵明は酒と菊を愛した中国の詩人としてよく知られています。四百年ほど後の唐の時代の白居易(白楽天)は陶淵明に深く傾倒しており、陶淵明の詩のなかの「東籬(とうり)の菊」を自らの詩の核心にもちいたりしています。
東籬の菊はノコンギクやハマギク、リュウノウギクのような、小さな花の菊と考えられます。ミヤコワスレは園芸品種で当時は無かったでしょうが、あのような形態の花です。今日の八重の大きな菊(イエギク)が園芸品種として登場するのはかなり後のことでしょう。
さて、遣唐使が数多くの大陸文化を持ち帰る前とはいえ、万葉集の時代に「菊」が認識されていなかったとはちょっと考えにくいことです。 
万葉集とほぼ同時代の書、日本書紀には「菊理媛神」が一度だけ登場します。一度だけとはいえ、かなり重要な場面に意味深げに登場します。古典はフリガナが添えられて伝授されましたから、ここでの菊の読み方が「クク」であることが分かっています。今日でも「掬る」はククルとよみますから納得しやすいかもしれません。
万葉集に登場せず、日本書紀に神様の名前の一部として「菊」が一度だけ登場するというのは興味ぶかいことです。
そして、時代を経るごとに日本の文化のなかで菊は急速に存在感を強め、主役のような地位につきます。皇室の御紋として確定したのは明治以降でしょうか、江戸時代の家紋の一覧には、由緒正しいお寺などに十六弁の菊の紋章はたくさん登場します。生け花でも木では松、草では菊が最右翼とされます。江戸の後期の生け花の図をみると、今日の園芸品種の菊に近いものが定着していたようですが、江戸初期中期のなげ入れの作品図などをみると微妙なところです。
話を本題に戻すと、菊が万葉集に登場せず、漢字としても古事記にもなく日本書紀に神名を構成する字として一ヵ所にだけ登場するというのは、とても不思議なことです。
近年では記紀や万葉の研究が広い立場からおこなわれ、科学的・理論的といえる見解がふえているようです。なかでも注目したいのは当時権勢の中心にあった藤原氏と記紀・万葉集の関係です。あえてあのタイミングで古事記、そして「正史」の日本書紀と相次いで二つの初めてとされる歴史書をたて続けに編纂したことの理由、また万葉集の編纂にあたった主要メンバーは当然のことながら藤原氏に近い人物であったことなどから、さまざまな推論がおこなわれているようです。
万葉集に菊が登場しない理由は、菊=ククが禁句とされたことだと思われます。それは藤原氏が権力を握ったこと、そして藤原氏がおこなった祭祀と「菊」の言葉に象徴される神との関係を類推させるものでしょう。
さらにその後の日本の歴史のなかで、「菊」の文化はさまざまな変遷を経てゆきます。そこでいつも象徴とされた菊は、一重の、「輪」を連想させる可憐な菊でした。   (樹心院 華 林)

同様内容は近日発行予定の彩流華第三五号に掲載予定です。
写真はノコンギク

 

 


 

2014/11/11

天地人


 あまりに長期間、ブログを更新しないので、どなたも見て下さらない寂しいブログになりつつありそうです。少しでも取り戻せたらと……
 今月の公開講座のテーマは天地人。東京は終了ですが金沢の講座はこれからです。
 意外と、天地人という言葉にはみなさま馴染みがないようで、そういえば大河ドラマにあったね、といった調子です。江戸時代にはかなり存在感のある言葉だったと思われますが、江戸幕府が儒教の思想を政策として重んじたために、武家のあいだでも芸道でも重用された、といった解釈がこの思想をいくぶんつまらないものに見せているように思います。
能の翁では「三極」という言葉で登場し、江戸の生け花では「三才」という言葉がよく用いられます。「三元」も歴史的にはみられる言葉。五方などが五行を意味するのと同様に、三がつく言葉は天地人を意味することが多いようです。
鎌倉のころの書物にはこの言葉の古代中国以来の本来の意味が記されていると考えてよいでしょう、すなわち天地とその間を統べるのが宇宙の根源的な神=「王」であるという思想です。江戸時代に平田篤胤も同様のことを述べているようで、それがいつの間にか人間の王のことを指すようになったことに悲憤している様子です。国学は論理的、科学的に古代の文化を復元しているようなところがあって面白いですね。不思議な日本の歴史です。
 生け花における天地人については、三才は不等辺三角形を表現すると解説される場合が多いようです。もちろんそのことに誤りはないのですが、天地人の本当のダイナミズムは天の円形に対する地の方形(正方形、長方形)という考え方にあるといってよいでしょう。由緒ある某流派のホームページにはそのことが記されていてとても嬉しく感じました。
 この円形と方形の考え方は遅くとも古墳時代にはあったものと思われます。そのルーツを中国の古い遺跡の資料に求めたいと考えていますが、まだ実現していません。
 ちなみに、日の丸も典型的な円形と方形の考え方によって考え出されたものでしょう。色も天地を表現しています。
 
 ところで、ホームページのほうも「彩流華」28号、29号が発行されているのに、まだ全然反映されていません。怠惰な華林にお叱りをいただきたいと思います。



 


 

2013/10/12

久々の更新です。「木」の尊貴について。


ときどきは、アジア古来の陰陽五行の哲学について述べてみましょう。なじむまではなかなか時間がかかるものなので、体系立ててお話するよりも、断片的なエピソードがいいかと思います。今回は「木」の話。
「陰」「陽」のくみあわせで木火土金水の五つの要素ができるわけですが、この五つの要素で宇宙や万物が循環して動いてゆく、という考え方です。木火土金水はあらゆることがらにあてはまるやっかいなものですが、その代表格となる地上の「木・火・土・金・水」につていまずみてゆきましょう。

「木」は古来もっとも尊いともされることが多く、龍で表現することもあります。色では緑や青。青菜、青葉など、青と緑はかつては同じ植物の葉の色をさしました。五行の「木」はこの植物の樹木をさします。さて、樹木の役割の大きさは何と言っても光合成で酸素を生み出すことです。温暖化を防ぐ最大のことでもあります。
五行ではその順番どおり、木が火を生み出す、という関係があります。「木→火」と書きましょう。ここでは、木材が火に燃えやすいという意味もあります。しかしそれ以上に、樹木が光合成で生み出した酸素が他の分子と結合・酸化することが「燃える」ということなのです。つまり主役は樹木が光合成で生み出した酸素なのです。そして「火」はたんに燃える火だけでなく、生命活動における呼吸による酸化をも意味します。つまり、生命が呼吸をしてエネルギーをえて生きてゆくために不可欠のものが酸素なのです。地球上において生物がすばらしい進化をとげてきた、その一番の立役者こそ「木」と、それが生み出す酸素であることは間違いないでしょう。さらに、食物ももとをただせば光合成によって蓄えられた炭水化物などに由来するのです。まさに木が生物を養ってきたのですね。

恐竜がいた時代は地球の酸素の濃度は現在より少し高かったといいます。つまり、そのぶん大きな体躯を動かすエネルギーが得やすかったのでしょう。そこで大型の生物となりました。同時に山火事なんかも発生しやすかったといわれますが。
巨大な隕石の衝突で気象条件は激変し、恐竜の時代は終わり、それまで肩身の狭い思いをしていた哺乳類の時代になりました。それとともに植物も裸子植物から被子植物が主体の時代になり、華やかな草花が咲き乱れる地球になってゆきました。(華林)

 


 


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