アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

華林苑 花日記


 

2023年04月29日(土) 華林のブログ

江戸の〝霊的骨格〟7 『アヅマ』の意味➂  近世、文化の『東下り』

  下らない、という言葉があります。つまらない、価値がない、といった意味です。
  その語源をウエブなどでみると、京・大坂の上方から面白い文物、価値のある文化だけが江戸へ「下って」きたので、下ってくる価値のないようなものを『下らない』と言ったことから始まっているようです。その根底には「東下り」などの古くからの言い回しがあるでしょう。
  徳川幕府がひらかれた江戸はまだまだ文化に関しては成熟しておらず、元禄時代の爛熟した文化は依然として上方が中心だったようです。江戸時代もなかばになり、やっと江戸の地で文化が成熟しはじめたとされます。
  大きな目で文化をみると、上方から江戸へ数々の〝選ばれた〟文化が下ったことは、新たな文化の潮流ができる大きなチャンスだったと思われます。文化は徐々に成熟するものですが、ときに、ヘビが脱皮するように大きく変わることがあります。旧来のしがらみを断ち切り、生き生きとした新たな文化が生まれるのです。
  ヘビは、古代の日本人にとって非常に象徴的な生き物であったという考え方があります。独自の視野を展開して話題をよんだ民俗学者の吉野裕子氏はヘビを祖霊と考えた古い日本人の思想について詳述しましたが、日本でもっとも古い神社といわれる三輪山(三輪神社)の神はときにヘビと表現され、いまだに卵をお供えする風習があるようです。人類最初の祖霊神と位置付けられるイザナギ・イザナミ神と同義とされる大陸のフッギ・ニョカ神もまた、上半身は人間ですが長い下半身は蛇体で表現されます。
  ヘビは「龍」と似た概念ですが、ときに違う側面もみせます。古代人がヘビにみたものは、脱皮して成長してゆく強い生命力であり、脱皮という成長のしかたです。そして、神も人間社会も、徐々に成長することもあれば、ときに脱皮して大きく生まれ変わるのです。それは熊野などにみられる「蘇生」や、山岳修験とくに白山系の信仰に色濃い「擬死再生」の哲学にも似ています。
  日本の伝統文化は京都を中心に爛熟し、江戸が都市として発展することによって新天地を得てまさに脱皮するような成長を見せようとしていたように思われます。京都からみれば江戸は田舎者の新参者の文化、江戸からみれば京都は因襲にとらわれた旧弊な文化、だったことでしょう。たとえば絵画の世界なら、圧倒的に京都・上方に純粋芸術が質・量を誇っていたのが、京都から江戸に本拠を移した狩野派(探幽)以降、京都とはどこか違う質実剛健な作風がうまれ、ついで錦絵などの出版文化の普及にともない民間の絵師の自由な画業がふえ、ついには北斎が小布施に残した肉筆の天井画などの飛躍的な作品が生まれます。北斎個人の才能があったがゆえなのはもちろんですが、江戸という時代が大きな文化の脱皮に向かわせたことも間違いないと思われます。
  また地方においても質の高い文化の萌芽がみられ、和歌の世界でも福井(越前)の幕末の国学者・橘曙覧は古今伝授のテクニックにとらわれない魅力にみちた明快な和歌を詠んでおり、明治時代には正岡子規が着目して全国に広く知られるようになり、さらに折口信夫なども高く評価しました。
  京都・上方から江戸へ、そして地方へ、という文化の流れは江戸末期にはっきりとみられますが、そこで起きた明治維新は文化の世界にも激震を起こし、いわゆる武家文化は一挙に凋落します。たとえば徳川家康が『式楽(公式の音楽、芸能)』とさだめた能は大きな痛手を受け、能面を打つ人は皆無になったとも言われのちに復活するのはすべて独学によったものと思われます。
  すなわち、脱皮してあらたな局面を迎えるかにみえた日本の伝統文化はここに頓挫してしまいます。同時に、江戸時代までは文化人たちには常識であった陰陽五行の哲学やそれと一体となった太陰太陽暦もまた一挙に忘れ去られます。廃仏毀釈以上に陰陽道などの古来の哲学・宗教は弾圧され、暦も太陽暦となって五行の哲学は徹底的に消された感があります。北斎や光琳などの画業、源氏物語をはじめとした古典文学や説話類も五行の哲学にのっとっている部分が非常に多いことすら理解されなくなりその魅力は半減してしまいました。
  生け花においても同じことは起こりました。武家文化の性格が強く、とくに江戸で一世を風靡した生け花『生花(せいか)』は一挙に壊滅状態に陥ります。ようやくぼつぼつと復活したのは、能よりもさらに遅い時期だったと思われます。
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江戸時代なかば、ようやく江戸の地にも新たな文化が芽生え始めたころに出版された『江府(江戸)名勝志』より。十八世紀中葉、享保十八年から明和元年にかけて新訂版など数種の異本があるようだ。板元はいずれも江戸。写真は華林苑蔵のもの。この書の半世紀以上あとの江戸後期には、よく知られる『江戸名所図会』が資料的にも読み物としてもより完成度が高いものとして板行される。それは江戸の文化が成熟してゆく過程でもある。◆写真上/上巻では武蔵国周辺の全体図からはじまり、各地区の町名や名物が羅列して説明され、住宅地図のような図が添えられる。写真は神田から柳原にかけての頁◆写真下/『寺院略記部』ではおびただしい数の寺院名が地域ごとに列挙され、宗派や本尊などが説明される。芝、三縁山増上寺の項(写真)では絵がそえられ、本尊や四十を超える坊中寺院の名前、山門や釣鐘などについてこと細かな説明が添えられ、別格の存在であったことが知られる。
 ※写真はクリックすると拡大します。


 

2023年04月24日(月) 古流の花だより

田井菅原神社の春祭りで献花

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森川理青、奥村千洋、二口笑子
(金沢市天神町)


 

2023年04月22日(土) 古流の花だより

3月30日に埴田町会館にて「桜をみる」が開かれました。

前出理栄先生が舞台に大きなお花を生けました。
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2023年04月14日(金) 華林のブログ

江戸の〝霊的骨格〟6 『アヅマ』の意味➁  東下り

  「東下り(アズマクダリ)」は平安時代からの「流行り」だったと言えます。和歌の世界の随一の変わり者、伊達者の在原業平を主人公としている、と言われる伊勢物語(平安時代、作者不詳・諸説があります)では「東下り」の段がつとに有名で、室町時代から江戸時代にかけての文化人にもたいへん好まれています。主人公が東国へ旅する三つの場面にそれぞれ和歌が展開されますが、ストーリーはごく単純で和歌は明快な表現、どこか世阿弥の夢幻能を想わせる言葉=謡曲/和歌中心の呪術的な世界です。
  最初の場面は三河の国(愛知県)の八ツ橋。ここでカキツバタを詠んだ和歌は非常に有名で、五七五七七の各句の初めにカキツハタの五文字を置いた和歌は、言葉の遊びがそのまま和歌の強い呪術性となっておりまさに「言霊」の世界です。八つ橋という地名も印象的で、『三河』は古くは「水河」とも書かれ、この八つ橋の地は古くから「美しい水」で知られた名所だったようで、蜘手つまり四方八方にクモの巣のように美しい水の流れがあったとされます。
  次の場面は駿河(静岡県)の「宇津の山」が舞台です。宇津は「ウヅ(ウズ)」とよみますが、記紀の伝授では「貴」をウヅとよませており、このウヅという発音は古くは「貴い」の意となっています。「宇津の山」は「貴い山」からきた名前でしょう。駿河の宇津山、隣接する宇津谷(うつのや)峠(静岡市)は八ツ橋と同じくかなり古くから「名所」として知られていたようです。
  この宇津の山の場面で次に登場するのは遠くに見える富士山です。「比叡の山を二十ばかり重ね上げたらむほどして、なりは塩尻のやうになむありける」とその圧倒的な高さと円錐形の美しい姿を形容しています。京都の北、琵琶湖の西の比叡山は京の人々にとって心のよりどころとも言うべき山だったので、ここでは比喩に最適なのでしょう。
  最後の場面は、「武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる川あり。それをすみだ川といふ。」と、今日の東京・墨田川まで飛んでいます。前回のべた平安時代の円仁の足跡もこのあたりに色濃く、南北朝時代には花山院師賢もここで和歌を詠んでいます。伊勢物語と師賢の和歌に登場する『言問』や『都鳥(ユリカモメのこと)』はのちに橋の名前になるなど名物として定着し今日にいたっています。
  江戸時代には数々の「名所図会」や浮世絵版画など絵をそえた出版文化で人々の心をそそった全国の「名所」は、平安時代から中世には歌枕、つまり和歌という手段で人の心をとらえていきました。絵や写真をみて私たちが行ってみたいと思う名所を、かつては和歌という言葉の力でその魅力を伝えていたのです。それが往年の和歌の文化のすごさと言えるでしょう。そして平安の都からみた東の国々は、魅力的な歌枕=名所、そこにはパワースポットといったニュアンスをふくんでいたと思われますが、そんな名所が多数存在する「異国」ととらえられていたのでしょう。修験者・求道者という側面を持っていた西行をはじめ多くの人々が「東の国」をめざして旅をします。
  そして平安以来あるいは奈良時代以来の「東の国」の「歌枕」のテーマは、室町・江戸の文化人たちに受け継がれていきます。そこでは始めて「床の間」という舞台が登場し、和歌の伝統は掛け軸や生け花と合体して日本独自の伝統芸術となっていきました。
  室町時代中期から後期の東常縁(美濃篠脇城主)は古今伝授を受けた歌人としてつとに有名で、官職が下野守だったので東野州(とうやしゅう)ともよばれますが、この人が伊勢物語・東下りの「八つ橋」の故事を受けて歌会で「からころも … 」の和歌の軸をかけそこにカキツバタの花を生けた、という故事は有名だったようです。ほぼ同時代には、銀閣寺(正確には東山山荘の会所)で同朋衆が足利義政のために西行が『遊行柳』(栃木県那須町、白河の関の近くの話として定着してゆく)で詠んだ和歌にあわせて七官青磁に水草を涼し気に生けた、という伝承などもあったようで、この時期に和歌をベースとして「花・軸・器」の床の間の芸道が完成していったと考えられます。歌枕は屏風絵など絵画の題材にもなり八ツ橋では尾形光琳の燕子花図屏風が有名ですが、ここへきて花、軸、器による総合的な「床飾り」として新たな美の形を切りひらいてゆくのです。そしてそのテーマとして「東国」は欠かせないものでした、神楽歌で「東遊び」が欠かせないものであったように。

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江戸の生け花・古流の四代家元関本理恩『櫻の志津玖』より(晩年、幕末~明治初頭の書)。伊勢物語の「かきつばた … 」の軸にカキツバタを生けた図。その説明には、東野州がかつてこのように生けた、と記される。またこれより百年ほどまえ、江戸時代なかば明和年間に江戸と京都で出版された『抛入華之園』(禿帚子著)によく似た図が同じく東野州の故事の説明とともに掲載されており、生け花が豪華絢爛を競う『立花』から和歌・歌枕を組み込んだ内省的な床の間の芸術『なげ入れ』が生まれる過程を示している。和歌は「からころも きつつなれにし つましあれば はるばるきぬる たびをしぞおもふ」
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往古の「東の国」の歌枕=名所・隅田川には今では東京スカイツリーが聳える。この地の有名な牛嶋神社(うしじまじんじゃ)は平安時代初期に慈覚大師円仁が創建したと伝える。スサノヲ神をまつる。以前は「牛御前社」と呼ばれており江戸・本所の総鎮守。牛御前社の御前は「ミサキ=岬」から転化したとも言われるが、江戸名所図会では大きな川にいくつもの突き出した岬のような地形がみられる。埋め立て前の太平洋も近かったと考えられ、都鳥=ユリカモメに象徴されるような海の気配をふんだんに感じさせる場所だったのだろう。「牛」は天神のみならず牛頭天王と習合したスサノヲ神にもなじみのもの。周辺は白髭神社や三囲神社など強い個性の古社があり魅力的な七福神のコースにもなっている。伝統芸能が息づく向島の料亭街もとなり合わせだ。伊勢物語の和歌は「名にしおはば いざ事とはむ 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」。「古今集」にも在原業平作としてある。
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牛嶋神社。昭和7年にやや北にあった社殿を現在地に移した。隅田公園の一隅にあり池もあって木々も美しい。
※写真はクリックすると拡大します。


 

2023年04月03日(月) 古流の花だより

3月31日(金)~4月3日(月)第55回石川県いけばな展が金沢エムザで開催されました。

家元先生も出瓶されました。詳細は、華林苑花日記をご覧ください。
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出瓶された方々です。
前期
大作 上田理碧、中村碧穂、川口碧由、群楽蕉碧、岡本麻碧
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ボックス
成瀬理博、森川理青
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河崎理鳳、岡本理敏、干場成樹
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後期
ボックス
中保理希、高理葉、髙木恭穂
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レリーフ
能木場理紀
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2023年04月02日(日) 華林苑 花日記

「春の夕刻」

葉っぱ(椿)ばかり生けていないで、たまには季節の花をいけました。
廣岡理樹の名前で、絵に合わせて生けました。
八重桜、椿、小菊。お魚の壺は沖縄のもの?
お軸の絵「月に鳥」と 花/華林
4月2日3日 金沢市の金沢エムザで開催された花展にて
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2023年04月02日(日) 古流の花だより

太鼓の舞台に金銀の枝が映える

DIA+代表 山田瑞恵 ストロベリーコンサート2023 にて
3月19日 石川県小松市・シルクビートにて
広橋理悠先生(右)が太鼓の演奏にあわせて舞台でお花を生けました。写真は記念のスナップより。
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