古流の花だより
2022年01月20日(木) 古流の花だより花展の花、北國花展後期、山茱萸と子の日の矮松
1月15日~23日、金沢市の金沢エムザで開催の北國花展、後期の作品。廣岡理樹挿。1ブースに2作を生けたうちの左。
絵(軸)は『十五夜-太子図』、華林=廣岡理樹作。
大砂鉢に山茱萸を大きく生け、かたわらに若松を小さく生けています。幼い松は矮松(こまつ)とも表記されます。
陰暦一月七日「人日の日」には、古代には野に出て幼い小さな松を引き抜く、という不思議な呪術的な風習がありました。それが「根引き松」の由来で、根が付いた若松を扉などに飾ると言う不思議な風習にもなってゆきます。そこには「お正月」という時間の一区切り、という想いがみられ、その背後には陰陽五行の哲学がみられます。さらにはお正月に若松を生ける風習にもなりました。生け花では本来は一月七日の花ですが、今日ではとくに日をとわずお正月全般に生けています。
2022年01月20日(木) 古流の花だより
花展の花、北國花展前期、梅の水くぐり
1月15日~23日、金沢市の金沢エムザで開催の北國花展、前期の作品。廣岡理樹挿。1ブースに2作を生けたうちの左。
「梅の水くぐり」を鋳物の大砂鉢に生けています。
生け方の由来などについては『華林苑花日記』に解説があります。
これは生けた直後の写真。そのあと日を追うごとに梅の花がひらいていきました。時間の経過とともにあるのも生け花の素敵なところ。
絵(軸)は『十五夜-太子図』、華林=廣岡理樹作。昨年秋に大阪の聖徳太子の墓所を訪れたあとで描いたもの。
花器の『鋳大砂鉢』はお茶の釜で有名な寒雉作(何代かは不明、明治ごろか)と伝えられるもの。山水模様、逆の面には漢詩がある。
2022年01月20日(木) 華林苑 花日記
花展の作品 - 熊野の山の神
2022年1月15日~23日に金沢市の金沢エムザで開催の北國花展での作品です。
1ブースに2作品を生けていますが、そのうちの彩流華です。
絵は「熊野の山の神」で華林作、額装は永嶋明さま、昨年秋の熊野遊行の直後の作品。
華は彩流華・剱(金)の華、花材は椿一色、華林挿。
2022年01月04日(火) 華林苑 花日記
水くぐりの梅
「水くぐりの梅」は江戸期の文人、芸術家にとって魅力的なテーマでした。梅の枝が下がって川の流れをくぐり、また上へ昇る、という構図です。МОA美術館所蔵の尾形光琳『紅白梅図屏風』はまさにこのテーマを描いています。
紅白の梅を川の左右に配置し、白梅の枝が川の流れをかすめるように下がってまた上方へ向かいます。向かって右に紅、左に白、また川の流れをかすめるのが白の梅、という構図が恐ろしいまでの緊張感あふれる美しさをみせています。
じつはこの「色」と「水」の配置は古来の陰陽五行の哲学に拠っています。京都の豪商の家に生まれ、いわば放蕩の挙句に画業に専念した光琳は、この「放蕩」の時期に多くのことを学んだとも考えられます。
当時の文化人の素養をみるうえでよく引き合いに出されるのが『和漢三才図会』です。これはアジア古来の哲学や地誌、有職故実、風俗などあらゆる分野を網羅した百科事典のようなものですが、これを一人で著した寺島良安は江戸中期の大坂の民間人の医師です。復刻版もあり現在でも簡単にみることができるこの書は、当時の文化人が如何に博識であったかを示しています。いっぽうで、多くの文化人、芸道者たちのあいだにはかなりの交流があったことが近年知られるようになっています。京都に生まれ後に江戸の街にも住み、晩年は京都へ戻った光琳が、古来の和歌や伝統・哲学をよく知り、それにもとづいて絵画などを制作したという事実が各作品をみるとよく分かります。
江戸時代中期に、立花に代わる生け花『なげ入れ』を確立させてかなり存在感があったと思われる入江玉蟾の版行本『挿花千筋の麓』には、この『水くぐりの梅』をテーマに梅の枝が水盤の水をくぐるなげ入れの絵が掲載されています。そこには平経章・後拾遺集「末むすぶ人の手さへや匂ふらん梅の下ゆく水の流れは」の古歌がそえられていますが、何がきっかけだったのでしょうか、この歌は当時よく知られていたようです。
図はそれから百年強をへた幕末に、古流の四代家元とされる関本理恩が版行予定ではたせなかった自筆の書『秀花図式』にある「水くぐりの梅」の図です。同じ和歌が記されています。ここでは、「なげ入れ」から発展して「生花(せいか)」の図となっています。このように、江戸後期には一世を風靡した生花(せいか)の各流ではこのテーマを好む例がいくらか見られるようです。
古流の四代家元・関本理恩の未刊行に終わった『秀花図式』のなかの「梅の水くぐり」の図。「白梅」と指定されている。下がる梅の枝は水の下までくぐってもいいし、水面に近づきながら水に入らなくてもいい、と伝承される。言うまでもなく梅は古来、強い文化を持つ木。香りも愛でられ、和製漢字の「匂」は「勻・イン、キン」から来ていると考えられるが、匂と勻には若干のニュアンスの違いがあるのが興味深い。この違いの理由には五行特有の哲学と日本的な文化土壌があると思われる。和歌は男女の契りを雅に表現しながら、いっぽうで「水」によるミソギやムスビといった重いテーマを隠していることが、この和歌が多くの芸道者たちの心をとらえた理由だろうか。
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