アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

古流の花だより


 

2026年01月05日(月) 古流の花だより

生花 2題


山田理映 11月
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2026年01月03日(土) 華林のブログ

丙午(ひのえうま/へいご)

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  今年の干支は丙午(ひのえうま/へいご)です。
  この特徴ある干支は、しばしば話題となるようです。
  丙も午(うま)も最も強い「火」の性質で、六〇ある干支の組みあわせの中でいちばん激しい年(歳)とされます。子どもが生まれることを敬遠する風潮も一部にみられ、この年まわりでは出生数が減ったりします。
  おかしな迷信です。
  ただ、伝統文化にたずさわる者にとっては、たんなる迷信と片づけることに少し抵抗があります。そこで、「丙午」にまつわるお話しです。
  干支は十の【干】と十二の【支】の組み合わせで毎年移り変わっていきます。そして六〇年で一周します。古い時代では、西暦の年号はなく皇紀などもよほど特殊な場合をのぞいて用いられませんから、ときの天皇の名前を冠した年次で呼ぶことがあるのを除けば、年代はほとんどこの干支で表現されました。今より人の寿命が短かったころには六〇年周期で考えることで充分こと足りたのです。また、現代の歴史学者がその年の干支を西暦に換算するとき、「六〇年」は間違いが起こりにくいための充分な長さのようです。
  さて、干支を年にあてはめていくという伝統はいつごろからあるのでしょうか。少なくとも万葉集の時代にはあったのでしょうし、大陸との交流は古い時代から恒常的にあったので有史以前の日本の出土物にも干支の表記がみられます。大陸で刻印されたものが日本に渡ったことが多いのでしょうが、人の往来もあり、干支の知識はある程度はあったことでしょう。
  ただ、この「年の干支」に、つまり今年のヒノエウマのように、なんらかの性格づけをするということが行われたのは、どうも千三百年と少しまえのことだったように思われます。
  今から一三八〇年まえの同じ干支「丙午」の歳は、歴史に大きな出来事として登場する「大化の改新」の歳です。正確にはその前年の乙巳(いっし/きのとみ)の歳に「乙巳の変」が起き、その後の大化の改新へと続いたのでした。
  日本の神話・歴史書で、はじめてのリアルな流血のシーンといってよいでしょう。そして、これを史実として受け止める人もあれば、まったく異なる真実がうらに隠されている、と考える人もいるようです。世界史においても、往々にして、文献として歴史を残すときは後の権力の正当性を誇示することを目的に事実が改変されている場合が多いからです。記紀、とくに古事記が江戸時代までまるで存在感がなかったこともその理由になっているようです。
  さて、歳の干支に強い性格づけをするのは、中国大陸・朝鮮半島から渡来した人たちの文化だったと考えられます。それ以前にはそのような「干支」が存在することは知られていたでしょうが、たぶん、重きを置かれることはなかったと思われます。
  そのころの中国では、干支のなかでも「乙巳」は大きな変革の歳、と考えられていました。その翌年である「丙午」は先に書いたように強い「火」の性格の歳です。つまり、革命を起こしさらに発展させるのに最適のときなのです。善悪といった主観を抜けば、乙巳の変はクーデターにほかならず、企てる側にとってはこの機を逃すことはありえなかったことでしょう。
  古来、戦いにおいては合理性だけでなく「運気」といったものを重視していました。もう少し具体的に言えば、目に見える「形而下」だけでなく、その背後にある「形而上」の動きを知る必要があったのです。それを知る手がかりが干支などの哲学だったのです。
  古い文献をたどると、干支のなかの「支」、つまり子丑寅卯辰巳 … が最初に登場するのは毎月の名前として、だったようです。よく引き合いにだされる「淮南子」でも一月二月 … は寅月卯月 … として登場します。その後で干支は「年」を、そして毎日めぐる「日」にあてはめられたようです。月の名前としての「子丑寅卯 … 」はそのまま日本の江戸時代の一般人の書「和漢三才図絵」にも登場し、たぶん明治のある時期までは日本でも常識的なことだったのではないでしょうか。
  年(歳)や日に干支を当てはめるのは「不断」という理由で行われます。つまり昔からこの順番で続いているからそうなのだ、という理屈です。それ以上の理由は求めるべくもありません。いっぽう、月に「支」を当てはめるのは、一年が十二ヵ月なのでいたって合理的です。そして各月に「十干」のうらにある「五行」の性質を当てはめます。つまり、火の性質が強い月は午月、寅月、戌月で、とくに午月が最強となります。
  歳や日の干支を重視する場合、そこには太陽信仰への強い志向が隠されているように思われます。それまでは月の信仰が主流だった日本に、太陽信仰の力で新たな権力構造をつくろうとしたのが、千三百八〇年まえに日本で起きたことだったと思われます。
  『因縁』とはじつに科学的なもので、同じ順序で解かれる、という思想があります。温暖化や利己主義などの行き過ぎた火の文明は、昨年と今年の「乙巳」と「丙午」で月の文明へと戻るのでしょうか。星座の動きなども大きな転機をしめしている、のかもしれません。


 

2026年01月03日(土) 華林苑 花日記

華林の芸術展2025「水の力、水の女神」 より -14

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本野雅青 自由花 桜、アイリス、スナップ、ピンクッションほか
瓢箪の花器  墨絵『鯨図』華林、鯨の土鈴


 

2026年01月03日(土) 華林苑 花日記

華林の芸術展2025「水の力、水の女神」 より -13

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越野順穂 応用花・直立型 しいのき、桜、雪冠杉、けいとう、アスターほか
東南アジアの陶器


 

2026年01月01日(木) 華林苑 花日記

華林の芸術展2025「水の力、水の女神」 より -12

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東森久華 彩流華巳型・松一色 彩流華火の華・椿一色 各銅器
墨絵『縄文男神』華林


 

2026年01月01日(木) 華林苑 花日記

華林の芸術展2025「水の力、水の女神」 より -11

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水野理月 応用花直立型  行李柳、ねこやなぎ、椿、へリコニア、スナップほか 乾漆銀砂子器 四足花台


 

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