アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

華林苑 花日記


 

2021年08月22日(日) 華林苑 花日記

ミョウガ の〝掌華〟

 色気より食い気で美しい花に気がつかないミョウガ。葉がしげる根もとに出る一つのツボミ状のミョウガのなかに何個も小さな莟が入っており、順次、花を咲かせます。まだ花期は続きそうです。
 漢字では茗荷。〝茗荷〟は中国ではカキツバタを意味したと何かの本で読んだような記憶がありますが、アヤメの仲間を指したという話はネット上でも散見します。
 中国大陸での植物名と日本の植物名を比定してゆくのはかなり難しそうな作業です、広い国なので地域による文化のちがいもあるでしょうし、地域ごとの植物相のちがいや固有種も少なくありません。〝柏〟なども国、時代で指す樹が違うものの代表です。竹も中国の竹はおそろしくバラエティーに富んでいます。
 生けた場所は金沢の華林苑、8月22日。
 小さな生け花を、手のひら(掌)の華、〝掌華(しょうげ)〟と呼んでいます。掌華では野生のもの、庭のものなどが美しい表情を見せます。大切なのは器えらびです。 (華林)
 
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2021年08月17日(火) 華林のブログ

太子信仰

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 聖徳太子の信仰は不思議な広がりをみせます。
 弘法大師・空海が、伝教大師・最澄が、また日蓮、親鸞、一遍上人が … 枚挙にいとまがないほどの高僧たちが深く敬った聖徳太子は、日本にはじめて仏教を取り入れた人であり、日本の仏教の根本経典といえる法華経を取り入れた人です。
 鎌倉時代の新仏教の隆盛はその時代の民衆、つまり下から生じるエネルギーの凄さを思わせますが、それはすなわち太子信仰の隆盛にもつながりました。比叡山から野に下って超人的な活躍をした法然、親鸞、日蓮などなどは、太子信仰を広めることにも一役かうという結果になったのです。
 このときさかんにつくられたといわれるのが「太子二歳像」や「孝養太子像=十六歳の太子像」です。髭を生やしたかつてのお札のイメージがあまりに強くて戸惑う人も多いでしょうが、太子信仰ではとくに二歳、十六歳の像が中心となっています。
 その背景には平安中期に成立したと言われる「聖徳太子伝暦」がありますが、そこで〝二歳〟などの年齢が強調されるようになった根底には、なんらかのアジア古来の哲学があると考えることができそうです。つまり、アジア古来の哲学・信仰と習合して太子信仰のますますの隆盛をみることになったと考えられるのです。
 さて、〝二歳〟の謎解きには今回は挑戦しないことにして、いっぽうでは聖徳太子は実在しなかった、という説も根強くあります。これにはこの時代の歴史に特有の事情があります。つまり、日本の政治・文化が激変する直前の時代なのです。だから古事記・日本書紀のこの時代にかんする記述には常に疑問が呈され、江戸時代の後半までは記紀そのものの存在感はじつに希薄だったことが知られています。
 さらに、聖徳太子には〝御霊信仰〟の特徴が数多くみられると言われます。御霊信仰でよく知られるのは奸計によって左遷され憤死した菅原道真=天神信仰ですが、『聖徳』という名前も法隆寺の建築形式も、また観音信仰と一体化するという点でも太子信仰が御霊信仰の特性をそなえていると指摘されるのは自然なことかもしれません。
 聖徳太子のお手伝いをしたことで知られるのは秦一族ですが、秦氏は先の項目でとり上げた徐福の子孫・末裔といわれます。徐福と秦氏は一説では「景教」とよばれたキリスト教、というより古代ユダヤ教を持ち込んだとも言われ、『十七条の憲法』というようなまとめ方の発想は釈迦よりもモーゼの『十戒』を髣髴とさせるかもしれません。いずれも「愛」をひとつの基本理念とした宗教ですが、かつて『日ユ同祖論』がうまれた背景にはこんなこともあるのかもしれません。また十七条の憲法では「和を以て貴しとなす」の文言が有名ですが、逆に読めば、激変する時代の直前にかなり激しい政争があったと考えることも可能です。「和」を強調する正義感と勇気、それを煙たい存在と考えたグループの存在、またこれに続く時代の藤原一族の専横が天神信仰を生んだことを考えると、一つの構図が浮かび上がってきます。いずれにせよ、のちに聖徳太子と呼ばれるようになる人物は実在したと考えるべきでしょう。それがほんとうは誰だったのかには諸説があり、また記紀が記すその周辺の歴史にはかなり激しい改ざんが行われている可能性は常に頭に入れておかなければならないでしょう。
 聖徳太子が実在したか否かと、太子信仰の重要性はべつのことです。とくに日本においては信仰はさまざまに習合しながら哲学や真理、愛、正義感を説くものになってきました。今日の政治・社会のあり方をみれば、愛や正義感、哲学が著しく欠如していると感じる人は多いのではないでしょうか。お札の顔から聖徳太子が消えたのと、それは軌を一にしているかもしれません。


写真は「聖徳太子二歳像」。石川県宝達志水町小川の照覚寺。弘法大師(空海)作と伝えられる。空海が唐から帰朝した地では現在の長崎県五島市説などが知られるが実際ははっきりしない。ここでは能登半島の珠洲市、三崎に漂着したとされる。このお寺は浄土真宗で空海は真言宗、太子信仰らしい側面がみられる。石川県、金沢市には数多くの太子像がある。
下の小さい写真は同寺の聖徳太子十六歳の画像、絹本。
太子像には住職のお嬢さん、広橋理悠さんが松と椿を生けてくださいました。
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2021年08月17日(火) 華林のブログ

金鈴の音

 森のなかのヒグラシはあの世の音

宝達のモーゼの丘に山蝉の 声声声と 金鈴の天降る
                   華林 
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… ほうだつの モーゼの をかに やませみの こゑこゑこゑと きんすずのあもる

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墓標の足もとの置物と「ありがとうございます」がなんとも愛らしい。

ここには〝モーゼの墓〟があると言い伝えられる。
 石川県宝達志水町にて。 2021年7月


 

2021年08月16日(月) 華林のブログ

言霊の国に生まれて  陰暦七月八日

言霊の国に生まれて…三

はちすの池 雨たたきつけ 花 花と あそばす女神 きそ(昨日)をことほく
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… 蓮の池 雨叩きつけ はな はな と 游ばすめがみ きそを言祝ぐ

山梨県富士吉田市、明見湖にて 2021年8月15日 華林


 

2021年08月09日(月) 華林苑 花日記

葉の木蓮

 モクレンにかぎらず、枝ものを生けるといえば花を思い浮かべます。でも、それぞれの樹の葉や枝ぶりはとても個性的で、禮華ではその美しさを存分に楽しむことができます。左側には木蓮の実もみえています。
 2017年9月に生けた作品で、今回はじめての発表です。
 華、花器の意匠/華林   陶器制作/前田弥冨
モクレン、ヒサカキ、デルフィニウム、小菊2色
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