アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

華林のブログ


 

2021年10月17日(日) 華林のブログ

羽車と羽衣


 三保の松原、羽衣伝説の地にあるのが羽車神社、小さな社で海ぎわなので昔はきっと何度も流されては建て直しているのでしょう。
 〝車〟は古来の強い性格の文化のひとつ。その根底には、渦=回転体こそ高貴な神の姿、という思想があります。その回転体の象徴となったのが車輪の形。
 三保半島の三保の松原(静岡県)は富士山が見える景勝地としてよく知られますが、富士信仰の中心地のひとつとしても知られます。強い信仰の山ではその山が見える場所や山の連なりのさまざまな場所に信仰の「場」がみられますが、山系が海へ突き出す場所すなわち岬はなかでも重要な場所とされてきました。言うまでもなく富士山はじつに広範囲に及ぶ信仰や文化をはぐくんできましたが、三保の松原が富士山と一体となって世界遺産に登録されたうらには日本の文化への深い理解がみられます。
 さて、羽衣伝説は日本の数か所にあるようで、それらは〝水〟との深いかかわりがあります。ここでは三保の海ですが、古くは近くに清水をたたえた池があったとも言われます。さすがに古来の哲学や説話に長けた世阿弥、この地の古い羽衣伝説を世阿弥らしい純粋で高雅な幽玄の能に仕立て上げて伝説の真意をよく表現しています。
 さて、羽衣と羽車、よく似た名前ですが、羽車が回転する飛翔体を意味すれば、羽衣はより具体的に、そのやや複雑な回転のしかたを美しく表現していると言えます。目にみえない高貴なエネルギーの姿を、より具体的、文学的な言葉にしたのが〝羽衣〟といえるでしょう。いってみればそれは、〝ヒモロギ〟のなかでもとくに高貴な形でもあるのです。

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 天女が羽衣をかけたという伝説の羽衣の松。ただし初代とされるものはもうなくてこれは二代目?とされる。
 滋賀県余呉湖の羽衣伝説のヤナギも同様の枝が広がる姿でとてもヤナギとは思えないものだったが、残念ながら近年の台風で折れてしまった。記憶に残るその姿は、三保の羽衣の松とよく似ている。2021年8月撮影。


 

2021年08月17日(火) 華林のブログ

太子信仰

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 聖徳太子の信仰は不思議な広がりをみせます。
 弘法大師・空海が、伝教大師・最澄が、また日蓮、親鸞、一遍上人が … 枚挙にいとまがないほどの高僧たちが深く敬った聖徳太子は、日本にはじめて仏教を取り入れた人であり、日本の仏教の根本経典といえる法華経を取り入れた人です。
 鎌倉時代の新仏教の隆盛はその時代の民衆、つまり下から生じるエネルギーの凄さを思わせますが、それはすなわち太子信仰の隆盛にもつながりました。比叡山から野に下って超人的な活躍をした法然、親鸞、日蓮などなどは、太子信仰を広めることにも一役かうという結果になったのです。
 このときさかんにつくられたといわれるのが「太子二歳像」や「孝養太子像=十六歳の太子像」です。髭を生やしたかつてのお札のイメージがあまりに強くて戸惑う人も多いでしょうが、太子信仰ではとくに二歳、十六歳の像が中心となっています。
 その背景には平安中期に成立したと言われる「聖徳太子伝暦」がありますが、そこで〝二歳〟などの年齢が強調されるようになった根底には、なんらかのアジア古来の哲学があると考えることができそうです。つまり、アジア古来の哲学・信仰と習合して太子信仰のますますの隆盛をみることになったと考えられるのです。
 さて、〝二歳〟の謎解きには今回は挑戦しないことにして、いっぽうでは聖徳太子は実在しなかった、という説も根強くあります。これにはこの時代の歴史に特有の事情があります。つまり、日本の政治・文化が激変する直前の時代なのです。だから古事記・日本書紀のこの時代にかんする記述には常に疑問が呈され、江戸時代の後半までは記紀そのものの存在感はじつに希薄だったことが知られています。
 さらに、聖徳太子には〝御霊信仰〟の特徴が数多くみられると言われます。御霊信仰でよく知られるのは奸計によって左遷され憤死した菅原道真=天神信仰ですが、『聖徳』という名前も法隆寺の建築形式も、また観音信仰と一体化するという点でも太子信仰が御霊信仰の特性をそなえていると指摘されるのは自然なことかもしれません。
 聖徳太子のお手伝いをしたことで知られるのは秦一族ですが、秦氏は先の項目でとり上げた徐福の子孫・末裔といわれます。徐福と秦氏は一説では「景教」とよばれたキリスト教、というより古代ユダヤ教を持ち込んだとも言われ、『十七条の憲法』というようなまとめ方の発想は釈迦よりもモーゼの『十戒』を髣髴とさせるかもしれません。いずれも「愛」をひとつの基本理念とした宗教ですが、かつて『日ユ同祖論』がうまれた背景にはこんなこともあるのかもしれません。また十七条の憲法では「和を以て貴しとなす」の文言が有名ですが、逆に読めば、激変する時代の直前にかなり激しい政争があったと考えることも可能です。「和」を強調する正義感と勇気、それを煙たい存在と考えたグループの存在、またこれに続く時代の藤原一族の専横が天神信仰を生んだことを考えると、一つの構図が浮かび上がってきます。いずれにせよ、のちに聖徳太子と呼ばれるようになる人物は実在したと考えるべきでしょう。それがほんとうは誰だったのかには諸説があり、また記紀が記すその周辺の歴史にはかなり激しい改ざんが行われている可能性は常に頭に入れておかなければならないでしょう。
 聖徳太子が実在したか否かと、太子信仰の重要性はべつのことです。とくに日本においては信仰はさまざまに習合しながら哲学や真理、愛、正義感を説くものになってきました。今日の政治・社会のあり方をみれば、愛や正義感、哲学が著しく欠如していると感じる人は多いのではないでしょうか。お札の顔から聖徳太子が消えたのと、それは軌を一にしているかもしれません。


写真は「聖徳太子二歳像」。石川県宝達志水町小川の照覚寺。弘法大師(空海)作と伝えられる。空海が唐から帰朝した地では現在の長崎県五島市説などが知られるが実際ははっきりしない。ここでは能登半島の珠洲市、三崎に漂着したとされる。このお寺は浄土真宗で空海は真言宗、太子信仰らしい側面がみられる。石川県、金沢市には数多くの太子像がある。
下の小さい写真は同寺の聖徳太子十六歳の画像、絹本。
太子像には住職のお嬢さん、広橋理悠さんが松と椿を生けてくださいました。
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写真はクリック、タップすれば拡大します。


 

2021年08月17日(火) 華林のブログ

金鈴の音

 森のなかのヒグラシはあの世の音

宝達のモーゼの丘に山蝉の 声声声と 金鈴の天降る
                   華林 
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… ほうだつの モーゼの をかに やませみの こゑこゑこゑと きんすずのあもる

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墓標の足もとの置物と「ありがとうございます」がなんとも愛らしい。

ここには〝モーゼの墓〟があると言い伝えられる。
 石川県宝達志水町にて。 2021年7月


 

2021年08月16日(月) 華林のブログ

言霊の国に生まれて  陰暦七月八日

言霊の国に生まれて…三

はちすの池 雨たたきつけ 花 花と あそばす女神 きそ(昨日)をことほく
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… 蓮の池 雨叩きつけ はな はな と 游ばすめがみ きそを言祝ぐ

山梨県富士吉田市、明見湖にて 2021年8月15日 華林


 

2021年07月19日(月) 華林のブログ

日本三霊山

 富士山、白山、立山は日本三霊山とよばれます。東海地方あたりの修験者(山伏)などがよく口にした言葉かと思われます。
 富士山のふもと、駿府にあった徳川家康は白山信仰にも篤かったと言われますが、東海地方は戦国大名を輩出した場所で、白山の牛王印(お札のようなもの)の裏に起請文を書いた大名は家康にかぎらず何人も知られているようです。「白山神」は、戦乱の世にあって大名たちにはウソ偽りの許されない重い存在だったのでしょう。
 さて、富士信仰の神社はおもに浅間神社ですが、なぜ『浅間(せんげん)神社』という名前なのかは謎とされます。富士山は言うまでもなく広く深い信仰の対象でした。にもかかわらず、浅間神社の名前の由来がはっきりしないのはなんとも不思議な話です。
 いっぽう、石川県白山市鶴来町にある白山本宮では、明治初頭の神仏分離の政策のなかでいきなりシラヤマヒメ神社とされ、その聞きなれないご神号に戸惑う様子が白山史料集「祭神問答」にもみられます。シラヤマヒメとまつられる例は隣県の若狭小浜(福井県)にも複数あったことが近年の発掘調査などで知られます。日本では漢字は古来「あて字」で、さまざまな漢字で『シラヤマヒメ』と記されまつられるケースが九州にいたるまで広範囲にわたっています。
 立山は古くはタチヤマとよばれご祭神はイザナギ神、アメノタチカラヲ神また地元ではタチヲ天神です。前述のように日本では漢字は古来「あて字」で、ここでは「タチ」という音が印象的です。
 三霊山にかぎらず、近年では自然の行き過ぎた開発が痛々しく感じられることが多々あり、最近の熱海の土石流にいたるまで数多くの厳しい結果を招いています。目先の経済効果だけで三霊山を売り物にするのではなく、それらの自然が大きな枠組みのなかで人々をはぐくむ深い知恵に言及する政治家、経済人が見あたらないことにも、大きな危惧を覚えます。
 

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立山からみた雲海のなかの白山(奥の山)
2019年10月


 

2021年06月27日(日) 華林のブログ

言霊の国に生まれて

言霊の国に生まれて…二

蓮の池に 言の葉降りて 水(み)の光
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… はすのいけに ことのはふりて みのひかり
美と水、発音(=み)が同じならその語の根源的な意味は同じと言われる。
山梨県富士吉田市、明見湖にて 2021年6月 華林


言霊の国に生まれて…一

蓮の池に 言の葉降りて 美(み)の泪(なみだ)
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… はすのいけに ことのはふりて みのなみだ
美の神 は しらやまひめ とも呼ばれる。
福井県、若狭国分寺跡の池にて  1992年夏 感謝します┅ 華林


 

2021年06月18日(金) 華林のブログ

徐福伝説 その2 (6月13-14日)

 富士山のふもと、富士吉田市は標高800メートル前後、車で入るとあまりその高さを実感しませんが、かなりの高原都市です。ここにも徐福伝説が色濃く残っています。
 かつては都留(つる)郡、現在は富士吉田市に属する「明見町」は北斎の富嶽百景では「阿須見村」と記され、読み方はいずれも〝アスミ〟で、この発音が古くから続いていたことが窺われます。また同地は古くはアソダニ(アソダン?=阿曽谷)とよばれ、浅間神社の『浅間』ももとは〝アソヤマ〟(富士山のこと、神社誌などに記載がある)が〝アサマ〟に縮音され、浅間の字があてられるようになったと指摘する向きもあり、どうもこのあたりが真実に近いように思われます。アスとアソ、日本語特有の音韻の転換とも考えられそうです。
 さて、明見町にある明見湖は小さな湖ですが、蓮の花で有名です。ここにも徐福は祀られます。「徐福雨乞地蔵」と祀られ、さまざまに習合しながら新たな文化となっていく日本ならではの在り方がここでも顕著です。この小さな祠のご本尊とおぼしき像の前に、前立のように舟に乗った徐福像がありますが、徐福伝説のままに童男などをしたがえ、いかにも古代中国らしく船の上に瓦屋根を頂いた家があるのが印象的です。そして、海の波もしっかりと彫られ、どこか七福神を思わせます。
 そしてその近くに、やはり徐福伝説とのかかわりが深い北東本宮小室浅間神社の旧社がひっそりと佇みます。
 下の前の項の和歌と写真はここでのもの。

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薄暮の富士山、富士吉田市はまさに富士山の一部。
写真はクリック、タップすれば拡大します。


 

2021年06月15日(火) 華林のブログ

陰暦五月五日 端午の節句 (6月14日)

 古宮で
艮の 阿須見の里の 古宮に まします祠 守られし 千歳を越えて 縁ある 人のはかりて 守られし 幾万代の 古の 天祖の 鎮まりし 岐の大神に よごと挙げ 明けまくを祝く 端午の節会
(うしとらの あすみのさとの ふるみやに ましますほこら まもられし ちとせをこえて えにしある ひとのはかりて まもられし いくよろづよの いにしへの あまつみおやの しづまりし ぎのおほかみに よごとあげ あけまくをほく たんごのせちゑ)
 華林

 明見に祀られる徐福の神様に (… その前には舟に乗った徐福像が置かれる)
長き世の 遠の眠りの 今目覚め 波のり舟の 音のよきかな
 (七福神の哥)
… 富士山麓、山梨県富士吉田市にて
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2021年05月31日(月) 華林のブログ

徐福伝説 その1

 全国各地にある徐福伝説には不思議な存在感があります。
 徐福は〝方士〟とされます。空海や天海は密教僧ですが、『方』つまり陰陽五行の知識にも長けており、共通点が多そうにみえます。
 そして徐福の足跡が伝えられる地には、まるで暗号のようなキーワードがみられます。
 紀伊半島・蓬莱山は熊野川の河口ちかくにあり、昔は岬とよぶべき場所であったと思われます。信仰の山を流れる川の河口にある小高い場所・岬は古くから神聖視されますが、ここはその典型でしょう。熊野三山ほどには知られませんが、ここの阿須賀(あすか)神社もまた、古来、強い信仰の対象です。また阿須賀=アスカは〝飛鳥・明日香〟などと同じモノを意味しているでしょう。万葉仮名ではそれらの漢字がランダムに充てられています。
 徐福が上陸したという伝説(ここ以外にも各地にある)がある阿須賀神社の地から北北東へ直線距離で25キロの波田須町・ハダスチョウは海(熊野灘)に面したかなり急勾配の地の集落です。急勾配のせいで集落の入り口から中心部は見わたしやすく、その不思議な雰囲気に驚かされます。そこの小高い一隅に徐福宮が祀られています。
 この徐福宮は明治時代の終りごろには近くの神社に合祀されたようですが、戦後は無事にここに戻って祀られています。明治政府・国家神道が忌避した信仰にはこのような歴史をたどったものが多く、仏教では観音信仰が主に弾圧を受けたようです。
 波田須にも徐福が上陸したという伝説がありますが、ここでは中国の秦の半両銭が発掘されており、徐福本人か、あるいはかなり近い人たちがこの地にあったのは間違いなさそうです。
  写真はクリック、タップすれば拡大します。
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蓬莱山を背景にした阿須賀神社
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波田須の集落
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波田須の一隅にある徐福宮
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棚田?窯跡らしきものにも不思議な表情が
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一帯は植物も美しい。いずれも2020年9月


 

2021年05月16日(日) 華林のブログ

アジアの色の哲学

 アメリカ・ヨーロッパには「マンセルの色相環」とうのがあります。日本の美術系の学校などでも重視されていたようですが、いまはどうなのでしょうか。
 さて、このマンセルの『色相環』では、色をその光の波長の長さの順にならべています。科学的で素晴らしい発想だと思いますが、つぎに、もっとも波長が長い「赤」ともっとも波長が短い「紫」をとなりあわせにくっつけて『環』すなわち円をつくります。これが色相環です。
 個人的には、赤と紫をくっつけて環にする、という点に違和感を覚えてしまいます。
 いっぽう、アジア古来の陰陽五行の哲学から別の色相環をつくることができます。
 なぜそんなことができるかというと、ひとつには、五行の哲学は〝循環する〟ということが最重要な要素であるからです。こまかい説明は短文のなかでは無理なので省きますが、この哲学によって「環」をつくるときは、ふつうは、もっとも波長が長い赤を上に、短い紫を下に配置することになります。さらに緑、青や黄色などを図のように配置します。ここから、欧米の美学とは違うさまざまな法則を導くことができます。
 次には、図の5色のあいだをどういう色でうめていくか、という大仕事が待っています。論理的な思考と、同時に感性の面でも納得する、そんな図ができあがることを期待しています。その図には、大きな役目があるかもしれませんね。
 (図の制作は華林。禁無断複製)
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2021年05月03日(月) 華林のブログ

熊野本宮

 熊野の神・家都御子神(けつみこのかみ)はスサノヲ神のことと言われます。熊野・大地の伝承に、古い時代に人々がイザナミ神とスサノヲ神を奉じてこの地に来てまつった、とあります。
 今は近くの小高い場所にある熊野本宮大社は、明治のあるころまでは熊野川の中州にありました。中州といってもとても大きなものです。しかし、熊野川は舟で長距離を行き来するほどの大きな川ですから、よく言われる百年に一度の大水で社殿はよく流されていたようです。それでも同じ場所で再建して、長い年月ここで祈りを捧げ続けていました。江戸の絵図で印象的なのは、中洲の上流側の端に玉置山(熊野の奥の院とされる)の遥拝所があることです。
 人間の姿では想像しにくいことですが、エネルギー体、つまり「氣」のあり方、あるいは龍体・蛇体で表現したときのその動き、といえばいいのでしょうか、スサノヲ神はイザナミ神の変化形とされます。言いかえれば、両者とも本質は「陰」、しかし活動する姿ではスサノヲ神は「陽」となります。五行で言えば「水」と「木」の関係になります。ちょっと難しい話です、難解なら聴き流してください。
 蟻の熊野詣で、などと言われたように、この紀伊半島最南端の秘境・熊野へ、古代・中世は多くの人々が参詣し、あるいはここで参篭(行)をおこないました。
 (写真はかつての熊野本宮があったあたりの熊野川。この日は美しい表情をみせていました。2020年10月)
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2021年05月03日(月) 華林のブログ

ウイルスの〝正体〟

ゲノム(遺伝子情報)の解析の手法の確立により、生物の進化などについて驚くべき発見がなされているようです。ウイルスが生物や人間に入り込みその遺伝子に組み込まれることで、普通の「進化」では考えられない劇的な変化を何度かおこしてきた、というのです。つまりは、そのウイルスによる疫病が蔓延して、次の世代?から人体のしくみの重要な部分が変化した、ということです。
  生物が「進化」するということ自体、かなり不思議な話で、高名な科学者が「神」という言葉を口にすることが多いのは、その不思議さに思いを致さざるをえないからでしょう。ましてウイルスによる劇的な進化は、なんとも不思議な話です。
  人間の脳にかんしても、ウイルスによるこのような劇的な変化が(少なくとも)一度おきた、という有力な説があるようです。いっぽう伝統文化の世界では、かなり古い時代に「ある事情で、神は人の古い脳のまわりに新しい脳をつくられた」という伝承があります。似たこと、同じことを違う目線から見ているだけ、という感じがしないでもありません。
  疫病をおこすのは、伝統文化の世界では牛頭天王です。いってみればウイルスをつかさどる神です。これはスサノヲ神と同じ神とされ、大海原を経綸する神、すなわち地球の現実界をつかさどる神です。疫病が流行ったとき人々は故事に倣って『蘇民将来の子孫』という紙を貼ってこの神に祈りその災禍を逃れようとしました。
温暖化で大海原に発生する台風はスーパー台風と化し、まさにこれもスサノヲ神の領域です。でも、人々はこの神に祈ることがなくなりました、つまりは、地球をモノとして扱い自然に対する畏怖の念を失ってしまいました。
いま問われているいちばんのことは、人々の心のありかたなのでしょう。

(写真の「大海原」は石川県珠洲市にて、2020年10月。古来、スサノヲ神の〝リズム〟は三五七とされる。)
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2021年04月30日(金) 華林のブログ

「天」の信仰

 アジアの「天」の信仰。
 こう言うとき、「天」は北極星、月、そして金星を意味するようです。つまり、太陽は含まれません。
 もちろん、太陽も大切なものです。そこで、「天」「太陽」「祖霊」という三つを「三輪信仰」としたのがほんらいの意味と思われます。全国の三輪神社は大和・奈良県桜井市の三輪神社からはじまったものとふつうは考えます。それは正解でしょうが、同じ系譜の信仰ととらえたとき、もっと古い時代ではやや違う順序を想定できるでしょう。
 さて、「天」が北極星、場合によっては北斗七星、そして月、金星を同時に指すのは、天における「陰」に対する信仰といえます。金星を純然たる陰とするのは若干の異論があるでしょうが、そこが面白みでもあるでしょう。
 「天」は先の回で述べたように地上の「水」とつながります。とくに高い山の水「天池」がその最右翼で、さらにはさまざまな湖などもふくまれます。それは縄文時代からの信仰と思われます。
(写真は2019年10月、富山市にて)
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2021年04月24日(土) 華林のブログ

あまかがみ

 美しい水に〝天〟が映る、古くからの美意識の極致です。
カガミは本来はヘビの目を意味したようです。カカはヘビ、今でもヤマカガシなどの名前が残ります。
 ヘビは龍神を意味し、かなり存在感のある祖霊のこと。たとえばヘビで象徴される三輪山の神様、大物主神は大国主神のことです。蛇体で描かれることが多い伏羲、女カ(ニョカ)はさらに根源的な祖霊神で、日本ではイザナギ神、イザナミ神に比定されます。
 アマカガミ・天鏡は天を映すカガミ。北極星や北斗七星、月を映すカガミ、そしてそれは湖や海、高山の池などの美しい水を意味したのです。
 天とつながる美しい地上の水、それが龍神の目なのです。
 滋賀県の余呉湖は、かつては波ひとつない美しい水面だったと言われます。今では琵琶湖からも水が入り、ややその趣は失われてしまったのかもしれません。でも、やはり圧巻の美しさを見せています。ここに残る羽衣伝説が八人の天女なのは、北極星と北斗七星の数にちがいないのです。
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2019年08月16日(金) 華林のブログ

七夕

なぬか
すぎこだち いはもひらけと おとひびき あめのみはしら おほかみつなぐ

ちとせこす なみだけしたまへ みのおんかみの みかげうつくしく あそばせたまへ

やうか
たふとくも ををしくもいます てんのいけに ぎのおほかみいます ただただかしこ


 

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