アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

華林苑 花日記


 

2021年12月30日(木) 古流の花だより

いしかわの伝統芸能プレミアムシアター(石川県主催、一般社団法人芸術文化協会主催、北國新聞社特別協力)が12/11~12/14、北國新聞交流ホールで開催されました。


出瓶された方々は、
上田理碧ほか 中保理希、森川理青ほかです。
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2021年12月15日(水) 華林のブログ

隅田川の七福神と海の文化

 東京・隅田川の下流は東京スカイツリーができて近代的な様相を呈しています。なぜかニューヨークのマンハッタンを想い起こさせます。
 東京湾に潮が満ちる時間などには、この辺りには海水が入ってくるそうです。つまり海魚も入ってくるわけで、どうりでカモメ(ウミネコ?)が多いわけです。
 ここには「海の気配」があるのです。考えてみれば、ここだけにとどまらず東京23区のかなりの部分にまで「海の気配」はおよんでいそうです。「江戸」という名前の「戸」は戸=入口であると同時に「処(と)」であったかもしれません。難波江つまり大阪湾から古いアスカの文化圏が生まれたのに似て、東京の江、つまり東京湾が江戸・東京の文化圏を形成する原動力となった、深層の部分ではそんなふうに考えることもできそうです。
 隅田川の東側、墨田区に「隅田川七福神めぐり」のコースがあります。こちらはスカイツリーとは打って変わって情緒ある地域。古い町並みに新しい建築物もよくマッチしていて、樹々や小公園もあり、ほっと息が付ける素敵な街です。近くには料亭も多く夕刻には芸者衆の姿をみることもできるのでしょうか。歴史的にみると激しい変遷もあったようです。
 七福神めぐりができるのは自然と文化が調和した地域が多いようですが、ここも例外ではありません。そして、とくに印象的なのが「海」に関係する文化です。
 七福神が広く江戸市中に定着したのは宝船に乗る絵です。ときに七福神が省略されて「船」だけで表現されたりします。七福神につきものの哥も『波のり舟の音のよきかな』でしめくくられ、波=海が隠れた主役と考えることができます。
 いっぽうで、このエリアには強いスサノヲ信仰もみられます。長文になるので詳細は略しますが、それらは同様に「海」への信仰であり、五行でいえば「木」、また「風神」、ひいては「竜宮の乙姫」と置きかえることもできます。
 ニューヨークのマンハッタンはハドソン川の中州、ここにも海水が入ってくるそうです。アメリカの東海岸と日本の東海岸の河口近くの大都市、やはり似ているのですね。東京湾にそそぐ水もきれいになってきて、「海の力」も増すかもしれません。
 写真は隅田川をめぐる船上からみたスカイツリーと近代的なビル群。
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2021年12月14日(火) 華林のブログ

椿一色の彩流華

 11月に金沢の華林苑で開催された「華林の芸術展」から椿一色の彩流華を2作。
 はじめてみる方は、一種類の枝葉で生けられる彩流華と一般的な生け花とのあまりの違いの大きさに驚かれることが多いようです。
 上の写真は「剱の華」と呼んでいます。形が剣を立てた姿に似ているからです。陰陽五行の「金」を意味しています。
 葉で形成される陰陽の回転を組み合わせています。下方が左回転に配置されたいくらかの枝、中に別に2本を配置し、それを囲むように右回転で上昇してゆく数枝を配置しています。上昇のぐあいが揺らぐ感じにします。
 暗い場所での写真なので粗い画像になっています。上左右に軸、お隣りに違う華を生けています。
 下の写真は「風の華」。五行でいえば「木」を表現します。
 ぐるぐる回る、台風の形です。
 「剱の華」と「風の華」で雷神・風神と同じ意味となります。五行はさまざまなモノに変換されますから、色だったり雷・風などだったり、方位だったりします。彩流華では、それを枝の葉の「気の動き」で表現しています。
 同展の動画と作品集も後日ホームぺージにアップする予定です。
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2021年12月02日(木) 華林苑 花日記

カタクリの図にみる「出生(しゅっしょう)」の意識

… 江戸期の生け花の『哲学』
 前にもご紹介した『挿花直枝芳』(入江玉蟾選、明和六年一七六八)の奥付がある板行本の「春」の部の一頁です。
 『生花(せいか)』が爆発的に広がる前夜の、初期の生花の書です。一世を風靡した立花にくらべると大きく趣が違うので茶花と受け取られる場合もありますが、茶室の花ではなく床の間などの生け花の新たな潮流です。
 この絵はカタカゴつまりカタクリの花で、万葉集の大伴家持の歌に「堅香子」として登場するのは良く知られます。絵にそえられている二首のうち右の和歌がそれです。家持が越中守として国府(現・富山県高岡市伏木、海岸に近い丘陵地)で詠んだものとされますが、今でも国府の跡とされるあたりには杉木立のなかにカタクリの群生がみられます。自然が破壊される度合いが少ない北陸ならではの風雅といえます。
 古代の国司は漢詩や和歌が必須の教養だったようです。近年では天智・天武・持統天皇の時代に大きな政変があったという見解が優勢のようですが、大伴氏はそれ以前からの名族で、新着の中国文化の漢詩よりも古来のヤマト言葉の和歌に秀でていたと考えることができそうです。それはヤマト言葉の「言霊」の哲学で、和歌が非日常の世界で強い言葉の呪力を発揮するツールという思考は、のちの平安末期以降の藤原定家にはじまる和歌の流れとは対極にあります。
 後世、ヤマトの文化を追い求めた江戸の国学者たちは、藤原定家以降主流となった和歌や文化の潮流を非難しています。万葉集の時代には厳密に守られていたと考えられる「発音」と三十一音の伝統が、藤原定家の新たな和歌文化の提唱によって破壊されてしまった、との主張です。それは、武家文化と貴族文化の本質にかかわる問題ともいえます。
 さて、絵のタイトルと説明の部分には、カタクリの漢名や異称をあげています。カタクリの絵は、残念ながら必ずしも忠実に写生したものとは言い難い点があります。ただ、一つの茎に二枚の葉が付いているのが「出生」なので、二花を生けて葉の総数が四枚であることも許される、と説明している点には注目されます。
 『器が「陰」なので、そこに挿す花や枝・葉の総数は「陽」数字、つまり奇数でなければならない』という哲学と整合性がないため、ここではあえて付記しているわけです。(ただし、「二」は古い哲学では奇数とも偶数ともとるので、生け花の数字では二は許される)逆にいえば、花や枝・葉数は陽数字=奇数でなければならない、という考え方はその時代には定着していた、ということも窺えます。奇数偶数の哲学を優先するか、出生(個性、ただし深い意味で使われる)を優先するか、確かに難しい問題です。生け花理論と、それにもとづく実際の作品の美しさ・感動が一致することが、何より求められるでしょう。
 和歌は「もののふの 八十(やそ)をとめらが 汲くみまがふ  寺井の上の かたかごの花」などと訓まれる、よく知られるものです。ちなみに、「もののふ」は後世には「武士」とも書きますが、古くは「物部」と書きます。物部氏は、大伴氏などとともに古代史の鍵を握る氏族・職掌と考えられており、その祖はニギハヤヒノミコト、すなわち大国主、大物主などと呼ばれる神です。〝ニギハヤヒ〟の正式な名前はアマテラスと似ており、非常に複雑な日本の神まつりの事情を示唆しています。
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