華林苑 花日記
2023年11月10日(金) 古流の花だより11月3~6日サイエンスヒルズこまつで華展が開催されました。
出瓶された方々です。順不同です。
大作
本田理紫
普通作・前期
前出理榮、川本理鳳、中座理萌
大江紗穂、嶋田淑穂、久保味穂
向出文穂、淵田紫庵、若林智恵穂
中野香彩、松岡紫萌
普通作・後期
奥田理和、浅倉理喜
山崎理惠、吉田理玲
中富理扇、久保理静、山岸理波
岡嶋渼穂、北岸華穂、河波純穂
2023年11月06日(月) 古流の花だより
第38回国民文化祭、全国障害者芸術・文化祭「文化絢爛・いしかわ百万石文化祭2023」の開会式が10月15日に金沢市いしかわ総合スポーツセンターで開催されました。
冒頭の式典では天皇陛下のおことばがあり、国歌独奏、文部科学大臣、厚生労働大臣、石川県知事の挨拶、石川県議会議長の歓迎の辞と続き、出演者による開会宣言、プロローグでは「豊穣の道」の演奏がありました。
その後にオープニングセレモニーがあり、家元先生が舞台で江戸時代から現代にかけてこの地の独自の「武家文化」の象徴として、大きな古銅の薄端にシイノキと菊三色の重厚な華を生けました。
2023年11月06日(月) 古流の花だより
石川県華道連盟 華展が10月28、29日に開催されました。
家元先生も出瓶されました。先に掲載しましたのでご覧ください。
その他、出瓶された方々です。順不同です。
中作
中保理希、瀧本希奈
普通作
上田理碧、成瀬理博、森川理青
河崎理鳳、能木場理紀、岡本理敏
干場成樹、福村燈世、東真華
2023年11月06日(月) 古流の花だより
10月21、22日の国際交流フェスタに合わせ金沢市アートホールで展示されました。
2023年11月06日(月) 古流の花だより
ひらばやし じゅんいち「牛の絵」絵画展にて 石川県小松市埴田町
2023年11月04日(土) 華林のブログ
徐福伝説 その二
江戸・東京の霊的構造 その13
― 武蔵の国のなかの〝ヤマト〟
〝アヅマ〟の意味⑨
前回述べた、紀元前三~四世紀の中国の秦帝国の貨幣が発掘された紀伊半島の熊野地方、波田須にのこる徐福伝説では、さらに徐福はここから富士山を目指して出航したとされます。徐福伝説は中国の史記にも記載される紀元前三世紀の終わりごろとされる伝承ですから、日本の史料ではなかなか確認できない時代のものです。日本書紀に登場する「弓月君」は徐福伝説と共通点が多く興味がもたれますが、日本書紀に記載される時代背景のほうがかなり新しい時代となっています。しかしながら、古事記・日本書紀の記述のなかで七世紀以前の部分はそのまま鵜呑みにできないという考え方は定着しているようで、「徐福伝説」と「弓月の君」は何らかの関連がある可能性は否定できないでしょう。
さて、江戸時代後期の葛飾北斎の版画集『富岳百景』に阿須見村から見た富士の絵があります。現在の山梨県富士吉田市小明見で、戦前までは南都留(つる)郡明見村でした。明見はアスミと訓(よ)みますが、北斎の富岳百景をみると江戸時代には「阿須見」と表記されることが多かったのでしょうか、こちらもアスミと訓んだものと思われます。漢字は当て字である場合が多く、その語の発音が重要であるということは日本の歴史では常に念頭に置いておかなければならないことです。
徐福伝説が残る紀伊半島の熊野川河口の古社は「阿須賀(あすか)神社」ですが、ここの古社に『阿須賀=アスカ』の名前がついているのはおやっと思わせます。アスカといえば「飛鳥」を思い浮かべるでしょうが、飛鳥も古くは「明日香」や「阿須賀」などと表記され、ほんらいはアスカの枕詞だった「飛鳥」が転じて「アスカ」として一般的になるのはやや後の時代です。そういったことを考えると、「アスカ」の発音が意味した文化がこの熊野の地にもなんらかの形で根付いていたのでしょう。それはまさに謎めいた、さまざまな憶測がなされる七世紀の歴史の裏面といったものを思わせます。
この阿須賀と一字違いの富士山麓、富士吉田市の阿須見(今は明見)の地に、やはり徐福伝説が根強く残っています。たんに似ているだけ、と考えられそうなものですが、珍しい徐福伝説という共通点などを重ね合わせると妙に気になってきます。アスカ時代といえば聖徳太子が活躍した時代であり、聖徳太子と秦氏との強い関係もよく知られています。秦氏はまた徐福伝説とは切り離せないもので、聖徳太子とともに強い存在感がありながらもさまざまな憶測がなされる不思議な一族です。つまり、徐福伝説も、飛鳥も、聖徳太子も、秦氏も、そしてそれらと強いつながりがある南朝・後南朝の文化も、例外なく謎に包まれているのです。そして徐福伝説とかかわりが深い、あるいは徐福伝説に象徴される文化を熊野から富士山麓へと持ち運んだのは 南北朝合一以降の後南朝の関係者であることが強く示唆されています。
南北朝合一以降の後南朝は政権に追われて紀伊半島を徐々に下り、最終地点の北山村は紀伊半島の千メートルを超える険しい山地の最奥の地点にあります。となりには十津川村があり、西村京太郎の推理小説『十津川警部シリーズ』の名前はここからとられたことでも有名です。またこの十津川村には古来の強烈な熊野信仰の奥の院とされる玉置神社があり、ここから紀伊半島の山脈を一挙に南へ降りると熊野地方と太平洋になります。後南朝と熊野信仰には深いかかわりがあったと考えるべきでしょう。つまり、後南朝とかかわりが深い人々が徐福伝説とそれにまつわる文化を熊野から富士山麓へ持ち運んだと考えられるのです。さらに、それよりも早い時期の南朝関連の書としてよく知られる神皇正統記(北畠親房)にも「徐福」の名前は登場しています。
さて、富士山麓の明見湖は富士山にのぼる行者の水垢離の場として有名でした。富士五湖などに比べればはるかに小さい池ですが、富士山頂を中心とするほぼ同心円上にあります。今日では美しい蓮の池としてもよく知られていますが、標高が高いぶん蓮も繊細な美しさが印象的です。明見湖がある富士吉田市は素敵な高原都市で、富士山のふもとで標高八百メートル前後、車で入るとあまりその高さを実感しませんが、かなりの高原都市です。
この明見湖の近くにも徐福は祀られます。「徐福雨乞地蔵」と祀られ、さまざまに習合しながら新たな文化となっていく日本ならではの在り方がここでも顕著です。この小さな祠のご本尊とおぼしき像の前に、前立のように舟に乗った徐福像がありますが、徐福伝説のままに童男などをしたがえ、いかにも古代中国らしく船の上に瓦屋根を頂いた家があるのが印象的です。海の波もしっかりと彫られ、どこか七福神を思わせます。
そしてその近く、富士吉田市大明見にはやはり徐福伝説とのかかわりが深い北東本宮小室浅間神社、さらに車で十分ていどの場所には不思議な雰囲気があるその旧社がひっそりと佇みます。また北東本宮小室浅間神社は、「謎の神」とされながらも強烈な信仰を集める神奈川県高座郡の相模國一之宮、寒川神社との関係も語られます。やはりここでも「謎」が登場するのです。そしてこの「謎」こそが、日本の文化芸道や霊的構造を明らかにするうえでの重要なポイントになるものと思われます。
山梨県富士吉田市小明見、明見湖のちかくの徐福祠。「徐福雨乞地蔵」と祀られる。
徐福祠のなかにある、舟に乗った徐福像。徐福伝説のままに童男などをしたがえ、いかにも古代中国らしく船の上に瓦屋根を頂いた家があるのが印象的で、海の波もしっかりと彫られどこか七福神を思わせる。
近くの明見湖はかつて富士山にのぼる行者の水垢離の場として有名だった。この辺りから富士山をみた図が葛飾北斎の富岳百景にある。現代では蓮の花が美しく咲き、高原の蓮らしい繊細な美しさをみせる。写真は雨中のもの。
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