華林苑 花日記
2024年12月14日(土) 華林のブログ高崎の「だるま」
ダルマ(達磨)は、強烈な個性で私たちにお馴染みです。
禅宗寺院でその尊像をよくみかけますが、禅宗以外でもまつられることはあるようです。また起き上がり小法師、七転び八起きの赤く塗られた「ダルマ」は、民間の縁起物、呪物として知らない人はいないでしょう。地域によってさまざまな変化形があることも、古くから社会によく定着していることの証しです。
さて、印象的な達磨信仰のお寺は、「水」の印象が強く、陰陽でいえば陰(北極星やこれを神格化した信仰など)の性格が強いところが多いように思います。水への信仰ともいえる観音信仰もみられます。
ただ、文化としての「ダルマ」は、陰陽五行の観点からすれば典型的な「火」の特徴をそなえています。赤く塗られ、三角形の姿、ぎょろりとにらみ、口を食いしばる(=無言)、などなど … いずれも五行では「火」の特徴です。
つまり、もともと「水」への篤い信仰の地に、あとから「火の信仰」として着地している場所が、達磨信仰として有名な場所に多いように思われます。
その典型的な例が、群馬県高崎市の達磨寺です。正式名称は少林山達磨寺で、達磨大師の「面壁九年」の修行のお寺として知られる中国、嵩山少林寺に山号をならっているのでしょう。少林寺は「少林拳」の中心地としても知られます。
高崎市の達磨寺はもともと「陰」や「水」、観音信仰に篤い場所だったようで、そこに江戸時代に達磨信仰が着地した、という順序のようです。時代によって推移しているかもしれませんが、現在のご本尊は 北辰鎮宅霊付尊神と道教的な名前となっています。また十一面観音も本尊に準じる形でまつられているようです。
有名な高崎白衣大観音が建てられた慈眼院も近くにあり、高崎駅に近い高崎神社は熊野系の信仰であることが祭神名から分かります。いずれも日本古来の「陰」を基調にした信仰であり、そこにギョロリと目を見ひらいている「ダルマ」が存在することが、ひときわ鮮烈な印象をあたえているのでしょう。
同寺は浅間山系や秩父・関東山地の平地への突端、といった地形で、西北には標高千百メートルの榛名(はるな)湖、その下には榛名神社もあります。高崎駅の近くの綿貫観音山古墳は、近年、そこから出土した個性豊かな埴輪群が脚光を浴びており、言霊を鈴などの音とともに発し、周囲を武人たちがとりまく、といった古代の神まつりを髣髴とさせています。これこそ物部、武士の文化のルーツなのでしょう。
達磨寺の霊符堂(本堂)のまえに置かれた大きなダルマと奉納されたおびただしい数の祈願の達磨。
険しい岩場に建つ榛名神社の一堂。榛名湖の下。
美しい榛名湖。標高1100m
2024年12月12日(木) 華林苑 花日記
華・絵・器 … 華林の芸術展2024 〝海の力、山の力〟 その1
今年も金沢市大工町の華林苑で「華林の芸術展」が開催されました。
数回に分けて、その様子をご紹介します。11月10日11日、石川県。
… 地球の表面の7割を占める海、その大海原を絶え間なく「風」が吹いています。そして地表の残りの3割が陸地、日本ではこの陸地の7割が山地となっており、森林の面積も陸地の7割に近いものとなっています。このような環境のなかで私たちは生活しています。
海は はじめて命を生み出し、今でも命をはぐくむ原動力となっています。海上をめぐって吹く風が陸地に上がり、山を昇って雨=淡水をもたらします。古来、海の力は絶大なものとされ、さまざまな象徴的な姿や言葉でその力を貴んできました。
〝海の力、山の力〟を「華、絵、器」で表現します。それは切実な環境問題の本質を理解することにもつながるでしょう。 …
海‐潮岬にて、写真/華林
山‐玉置山にて、写真/華林
華林苑の玄関に飾られた「鯨図」華林画。和歌山県潮岬は古来、クジラがよくみられる。太地など一帯はウミガメなど多くの生物が黒潮に乗ってやってくる。外国の人々も古代以来何度もたどり着いたことだろう。本州の最南端で南国情緒がただよう。そこから紀伊半島の南側の山地丘陵を一気に駆け昇ると、奈良県の南端、玉置山となる。古来、強烈な信仰の対象となった場所でもある。
小部屋の一つに独自の世界を展開。『縄文女神』『縄文男神』(華林画) の大きな額に陰陽の巳型の彩流華を生ける。巨大な祖霊が山に鎮まる。椿と松の彩流華/土橋白華。
もう一つの小部屋には五行、木火土金水の気を表現する五軸(華林画)に、同じく陰陽の巳型の彩流華を生ける。宇宙の力とともにある天祖。
この部屋にはいくつかの作品が軸とともにならんだ。これはアジア古来の吉祥の形に生ける「禮華」。テーマにそった書『鯨・クジラ』(はくを筆) にあわせている。森川理青。シイノキ、椿の枝に花もの、実をあわせる。
2024年12月09日(月) 古流の花だより
11月29~12月2日 古流協会展が東京、日暮里サニーホールにて開催されました。
出瓶された方々です。順不同です。
総務、牧野理正
総務、松井理富美
参務、安西理光
参務、御園理貴
中席、小野田理惠、金指理信
小席、鈴木理京、柚原理香
小席、相良理泰、菊島愁翠
2024年12月07日(土) 華林のブログ
陰と陽
江戸・東京の霊的構造 その23 -- 武蔵の国の中の〝ヤマト〟
今回から、日本の伝統文化や宗教の根底にあったアジア古来の哲学について書きます。それらは明治維新の文化の激変により今日では知られることが少なくなりましたが、かつては文化人たちにとっては常識といえることも少なくなかったようです。そのような環境で築かれてきた伝統文化は、アジア古来の哲学があまり知られなくなった今日では、本質的な部分で変化してしまった場合も少なくないように思われます。
さて、「陰陽」は伝統文化においてはいちばんの基本です。「陰」と「陽」はそれぞれ単独にあるのではなく、両方が存在してバランスをとること、それぞれが力を出しあうことが大切とされます。
その陰陽が生まれる以前には『太極』などとよばれる状態があったとされます。これはたとえば引用されることが多い「色即是空(般若心経)」の句のなかの『空』と同じものととらえることもできます。「空」は「無」とは違う概念だったようで、たとえば今日の科学で説明する宇宙の誕生時点の状況、インフレーションやビッグバンが起きるまえの、ほんの小さな一点とでも表現すべき状況とどこか共通した概念のようにみえます。物質としては人間には認識することがなかなか難しいけれど、じつはすべてのものの根底になっている巨大な〝気〟、とでも表現すればよいのでしょうか。それは、どう素晴らしいのかと数値化して指摘するのが難しいにもかかわらず、特定の芸術作品が人々に大きな感動を与えるのに似た状況とも言えそうです。
陰陽はさまざまな局面に存在していますが、この世でもっとも象徴的に存在する陰陽は太陽と月(太陰)です。太陽が陽の象徴、月=太陰が陰の象徴です。そして地上における陰陽の象徴は水と火です。水が陰、火が陽です。アジア古来の哲学のひとつの基本です。
それらの陰陽は、たとえば芸道芸術あるいは宗教などの場面では、あるいはそれが日常生活の身の周りの文化に反映されるとき、さまざまなモノに姿を変えて象徴されていきます。吉祥の絵がらや模様、さまざまな紋など、その多くがこの陰陽の〝気〟の象徴でした。そしてさらには、陰陽から発展した『五行=木火土金水』の〝気〟の働きになります。すべてのものを目にみえない『気』が支配している、という考え方は、ニュートン物理学の時代にはまるで迷信としか思われなかったでしょうが、アインシュタインいらい物理学が驚くような方向に踏み込みだしてからは簡単に迷信と片付けられないような存在感を見せはじめているようです。
さて、私たちが日ごろ見なれている陰陽の象徴に『鶴亀』があります。
一般的に、水のなかにあって外側が固くて中が柔らかい生き物は「陰の象徴」としてとらえられることが多く、なかでも「亀」は陰の象徴の代表格となります。「貝」も同様に外側が固くて中が柔らかいので陰の象徴とされます。古くは、「貝」は「介」と表記されました。いずれもカイと発音し、そんなところにも「発音」が先ずあったというアジアの言霊の伝統がうかがえます。
いっぽう、亀と対になってきたのは鶴です。一般に空を飛ぶものは「陽の象徴」とされ、雀も鳳凰も蝶も「陽」の象徴です。平家の紋は『揚羽蝶』で、紋としては陽・火のイメージが強くあります。同じく『日負鶴/ヒオイヅル』という美しい紋が物部系の古い神社に伝わっていますが、赤い太陽を背景に鶴が描かれるという絵がらです。こちらは日も鶴も陽の象徴なので、陽の気が強い紋といえます。しかし、物部系の文化が「陽」を主にしているとは考えにくく、必ず紋がその文化伝統の中心的な本質を表現しているとは考えにくいようです。
陰陽をストレートに日月で表現することもあります。日=太陽が「陽」で、月=太陰が「陰」です。名前そのものが太陽、太陰というように陽・陰の極みという意味ですから、ちょっと重々しい感じの陰陽の表現になり、御所などでは独立した旗(纛幡/トウバン)として日月を対にして飾る伝統もあります。熊野や富士山などなど山を曼荼羅として表現する場合など、これは山岳修験の世界で重んじられた曼荼羅と思われますが、画面の上方左右に日月を対になるように配することが非常に多くみられますが、基本的には向かって右が太陽、左が月になっています。色は太陽が赤や朱、金色で、月は銀や白などです。ちなみに、古い時代に「白光」というときは月の光を意味します。
陰と陽は、生成順(生まれた順序)では陽が先、陰が後とされますが、現在ではむしろ陰がリードしているというのがアジア古来の考え方です。そこには若干複雑な過程があるのでここではふれることはしません。そして陰陽はその力の組み合わせによって木火土金水の五行へと変化し、現実界ではこの五行の力でものごとが動いています。
先に述べたように、本来の陰陽の力は、地上の現実界では五行の水・火で表現されます。若干複雑な二重構造ですが、このような二重構造、あるいはそれ以上の多重構造もアジア古来の哲学の基本です。そして陰陽のもとである「太極」は、五行では「金」の力になります。五行の観点からみれば、多くのアジアの宗教などではこの「金」の力をたとえばミロク神などと擬人化してとらえ、聖徳太子の信仰ではこのアジアの「ミロク信仰」が根底にあったと指摘されることが多くあります。ミロク神の興味ぶかいところは、地域や伝統によってそのとらえ方が大きく違うところです。一見まったく違う神格を「ミロク」という言葉でとらえている場合が多く、むしろそこにミロク=金の本質が隠れていると言えます。
『太極図説』/太極説は古来のアジアの哲学のなかのいちばん基本的なもの。手で書き写され、伝えられる場合が多い。これは江戸時代のものかと思われる。太極から陰陽、そして文中ではさらに五行=木火土金水への展開が説明される。
陰と陽はさまざまな象徴的なモノで表現される。鶴亀はその代表的なものの一つ。鶴が陽、亀が陰の象徴となる。文政元年一八一八に出版された大部の教養書より。板元は須原屋茂兵衛とある。華林苑蔵。
こちらは山岳曼荼羅ではないが、熊野、玉置宮の神符。日月を左右に配していると思われる。この神符にかんしては神仏混交の色合いが濃い。
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