アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

古流の花だより


 

2025年10月26日(日) 華林のブログ

江戸の霊的文化と天海 その三  川越から江戸へ

江戸・東京の霊的構造 その28 -- 武蔵の国の中の〝ヤマト〟

  江戸時代のはじめ、徳川家康から深い帰依を受けた僧・天海は、現在の福島県、磐梯山のふもとの盆地、会津地方で生まれました。天台教学のみならず陰陽五行をはじめとした多くのことを学び、おそろしく博識であったものと思われます。つづく二代将軍秀忠、三代家光も深く帰依し、とくに家光の傾倒ぶりはかなりのものであったと思われます。まだ将軍に就いていないころに何度も川越へ鷹狩りに行くのも天海が川越にいたことと関係があるようです。江戸初期の幕府の政策には天海からの示唆を受けたものが少なくなかったと考えられ、「黒衣の宰相」とまで呼ばれるようになりました。
  織田信長によって琵琶湖畔にある本山・比叡山が壊滅的なダメージを受けた天台宗は、天海の出現によって江戸初期に復活しました。とくに江戸では上野に寛永寺をつくり、この境内には琵琶湖弁財天に模して、つまり勧請して不忍池に弁財天をまつりました。栃木県の日光の輪王寺や中禅寺湖畔の中禅寺も創建、復興され、関東を中心に多くの天台宗の寺院が勢いを持つにいたりました。たぶん、天台宗だけでなくそれ以外の宗派でもその影響を受けたところは少なくないのではないでしょうか。
  その天海は、江戸幕府がひらかれる直前のころには、現在の埼玉県の喜多院に住していました。
  今日では小江戸とよばれ多くの観光客がおとずれる川越ですが、ときに「江戸の母」とよばれることもあります。これは、まだ荒野とよばれるような状態だった江戸に、文化がもたらされた一つのルートがこの川越からのものであったことからこのような呼び方がうまれたのでしょう。江戸時代がすすむにつれて京都大坂の上方からくだってきた文化は江戸の街で武家文化として変容しながら花ひらいてゆく場合が多かったようですが、それとは別に、霊的な意味では初期に川越などから移入された流れが大きな意味を持ったものと思われます。
  前回みた芝・増上寺は家康の浄土宗への帰依から生まれたものであり、浄土宗の寺院も江戸では勢いを持つに至ります。こちらは西の東海地方などからの移入が多いようですが、北(北西)の川越からのルートは興味ふかいものがあります。
  川越の喜多院(現在での呼び名)は川越の歴史・観光ではいちばんの中心といえますが、江戸時代までは神仏混交で日枝神社がいっしょに鎮座します。日枝神社は場所によっては日吉神社とも書かれ、天台宗特有の複雑な表記や読み、歴史がありますが、その本山は滋賀県の琵琶湖畔の比叡山のふもとにある日吉大社です。
  天台宗は真言宗とならぶ日本での古来の密教で、天皇の守護といった修法をおこなう、古来の国家鎮護の中心でありつづけました。明治時代になるまではずっと日吉社の神道と一体としてあり、とくに山岳修験の性格を持つものでした。この比叡山と日吉社の歴史はじつに複雑で、歴史をみるとご祭神などもなかなか理解がしにくい部分があります。天皇家の守護という性格のいっぽうで江戸時代には幕府の守護という性格が圧倒的に強くなるなど、国家鎮護、つまり中央政権の変遷と常にかかわりあったゆえの複雑さと考えられます。
  さて、川越の喜多院にあった天海が江戸に入り、上野寛永寺や日光など広範囲におよぶ天台宗による霊的構造をつくりあげるわけですが、それにつきものであったのが日枝(日吉)神社です。ここでは狛犬ではなく狛猿、というふうに個性豊かな神社ですが、同じ系統の日光東照宮も「見ざる聞かざる言わざる」の「猿」で知られます。「猿」は干支では「申」であり、ちょっと専門的ですが方角ではほぼ裏鬼門、五行では「水」の性質が強くあります。能がもともと「申楽」であったのと共通する背景がありそうです。
  今日、永田町(赤阪近く)には大きな神社、山王日枝神社があります。屋外に大きなエスカレーターがある神社はここだけ?と思われますが、この山王日枝神社は川越の日枝神社から勧請されたとされます。もちろん天海によるものでしょう。最初は江戸城のなかにあり、さらにいちど移転してから現在地に移ったようです。ここの御祭神をみると、比叡山と日吉・日枝神社の深いなぞが解かれる思いがします。(次回につづく)
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上野、寛永寺の清水観音堂の「月の松」は高台にあり、そこから見下ろした不忍池の弁天堂。天海による建立。当初は寛永寺とは別の独立したものだったようだ。「月の松」は浮世絵にも描かれていたものが明治時代に台風により焼失、ごく近年に復元したもの。弁才天は水の神。古代インド由来の神と日本古来の宗像三女神が習合したもので、とくに江戸時代以降は庶民的な信仰としても多くの人々に愛される。
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東京、永田町(赤阪とされることが多い)の山王日枝神社。屋外に大きなエスカレーターがある。国会議事堂など国の中枢の地区に隣接する。皇居も同じ一帯、東北方向にある。
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山王日枝神社は丘陵地の突端部分にある。北側の道路ぎわの崖をみると、リアス式のように入り組んだ地形の一部であることがよわくわかる。つまり、国会議事堂も首相官邸も議員宿舎も、そして皇居もこの同じ入り組んだ突端部分にある。古来、まつりごとが行われることが多い地形だ。古くは海も迫っていた、つまり岬だっただろう。境内の地域に古墳があったという説もある。
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埼玉県川越市仙波の日枝神社。喜多院に隣接してある。明治の神仏分離のまえは同じ境内だったと思われる。江戸城の守護として、山王日枝神社はここから勧請されたようだ。
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この川越市仙波の日枝神社は前方後円墳のうえに建ち、裏側からみるとその高さからそのことがうかがえる。


 

2025年10月16日(木) 古流の花だより

いけばな古流協会展が10月3~6日に東京・日暮里サニーホールで開催されました。

廣岡理樹家元先生は家元席に「妙音弁才天」の軸に、陶舟花器には彩流華の天女型を椿で、陶鶴首には松を、黒塗水盤二つにはスプレー菊、石を生けました。詳しくは華林苑花日記をご覧ください。
以下、出瓶された方々です。順不同です。
総務席
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小野田理惠
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松井理富美
参務席
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御園理貴、安西理光
中品席
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牧野理正、金指理信
小品席
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相良理泰、横山悠翠、鈴木理京、柚原理香


 

2025年10月13日(月) 華林苑 花日記

「妙音弁才天」図に 東京、日暮里での花展にて

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華と絵 華林  華は彩流華、天女型…椿、陶舟花器  松…陶鶴首  黒塗水盤二個 スプレー菊、石
10月3日~6日 日暮里サニーホール 古流協会展にて


 

2025年10月07日(火) 古流の花だより

9月27~29日サイエンスヒルズ小松にて華展が開催されました。

出瓶された方々です。順不同です。
大作
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久保理静、吉田理玲、北岸華穂
普通作
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岡嶋渼穂、河波純穂、久保味穂
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中座理萌、中野香彩、淵田紫庵
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本田理紫、前出理榮、向出文穂
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山岸理波、山崎理惠、若林智恵穂


 

2025年10月07日(火) 古流の花だより

6月6~8日にいけ花作家協会展が富山新聞高岳会館にて開催されました。後編です。

出瓶された方々です。順不同です。
大作
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北山理光、河原理佳、門島理紀  深松紫濃  澤橋理喜、岡田理喜
中作
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高森理世  窪田漣美、十丸紫陽  清水美代穂、大郷民穂
小作
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大坪理和  四栁明喜加  吉野理白
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松木理美  加藤樹恵、藤川幸喜
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吉本春穂  平野美紀穂  水元喜睦


 

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