アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

古流の花だより


 

2021年05月31日(月) 華林のブログ

徐福伝説 その1

 全国各地にある徐福伝説には不思議な存在感があります。
 徐福は〝方士〟とされます。空海や天海は密教僧ですが、『方』つまり陰陽五行の知識にも長けており、共通点が多そうにみえます。
 そして徐福の足跡が伝えられる地には、まるで暗号のようなキーワードがみられます。
 紀伊半島・蓬莱山は熊野川の河口ちかくにあり、昔は岬とよぶべき場所であったと思われます。信仰の山を流れる川の河口にある小高い場所・岬は古くから神聖視されますが、ここはその典型でしょう。熊野三山ほどには知られませんが、ここの阿須賀(あすか)神社もまた、古来、強い信仰の対象です。また阿須賀=アスカは〝飛鳥・明日香〟などと同じモノを意味しているでしょう。万葉仮名ではそれらの漢字がランダムに充てられています。
 徐福が上陸したという伝説(ここ以外にも各地にある)がある阿須賀神社の地から北北東へ直線距離で25キロの波田須町・ハダスチョウは海(熊野灘)に面したかなり急勾配の地の集落です。急勾配のせいで集落の入り口から中心部は見わたしやすく、その不思議な雰囲気に驚かされます。そこの小高い一隅に徐福宮が祀られています。
 この徐福宮は明治時代の終りごろには近くの神社に合祀されたようですが、戦後は無事にここに戻って祀られています。明治政府・国家神道が忌避した信仰にはこのような歴史をたどったものが多く、仏教では観音信仰が主に弾圧を受けたようです。
 波田須にも徐福が上陸したという伝説がありますが、ここでは中国の秦の半両銭が発掘されており、徐福本人か、あるいはかなり近い人たちがこの地にあったのは間違いなさそうです。
  写真はクリック、タップすれば拡大します。
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蓬莱山を背景にした阿須賀神社
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波田須の集落
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波田須の一隅にある徐福宮
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棚田?窯跡らしきものにも不思議な表情が
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一帯は植物も美しい。いずれも2020年9月


 

2021年05月31日(月) 古流の花だより

富山県高岡市の勝興寺での花展 

 重要文化財勝興寺開基550年「平成の大修理」完工記念特別華展 4/9(金)~4/11(日) 主催:富山新聞社、富山県いけばな作家協会で古流柏葉会から次の方々が出瓶されました。
 澤橋理喜、北山理光、深松紫濃
 門島理紀、北野理征、河原理佳
 岡田理喜、湯浅喜雅、大坪巴和、藤川幸喜

写真を大きくするときはクリック、タップしてください。

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2021年05月22日(土) 古流の花だより

花菖蒲と撫子の自由花

 ハナショウブとナデシコは古来の取り合わせ。男の子と女の子、のイメージです。
 カキツバタと比較されることが多いので、掲載します。
 ハナショウブは水草ですが、陸地にも生えます。
 もう一つの写真は、ハナショウブの原種といわれるノハナショウブ。野生のノハナショウブを品種改良してハナショウブがつくられたと言われます。ノハナショウブの花は一見、杜若に似ていますが、陸地に生えます。
  (華/理樹=華林) 
  写真を大きくするときはクリック、タップしてください。
  上の日付は投稿日で、生けた日ではありません。季節の花、季節をやや先どりした花を過去の作品から選んでいます。

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2021年05月22日(土) 古流の花だより

燕子花とフトイ

 カキツバタとフトイの作品を並べましたので、実際に生えている写真をお見せします。
 カキツバタのもとの写真が見あたらないので、当方の出版物に載せた写真で、ちょっと綺麗じゃないですね。
   (^_^;)
   (写真/理樹=華林) 

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2021年05月22日(土) 古流の花だより

燕子花の自由花

 燕子花=カキツバタ は古来、もっとも喜ばれた花のひとつで、水草です。
 染付けの古い花器(砂鉢)に生けています。
 生け口を複数に分けることで、水草であることをさらに強調できます。
(華/理樹=華林) 


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2021年05月22日(土) 華林苑 花日記

ユズリハ(杠) の新緑

 今年の葉が成長すると去年の葉がいさぎよく散ることからきたとされるユズリハの名前。若い葉の赤い葉柄が柔らかい緑に映えます。
 彩流華・なげ入れ調 … ユズリハ、バイカウツギ、レースフラワー
   陶花器 … 意匠/華林 制作/前田弥冨  華/華林

  写真を大きくするときはクリック、タップしてください。
  上の日付は投稿日で、生けた日ではありません。季節の花、季節をやや先どりした花を過去の作品から選んでいます。

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2021年05月22日(土) 華林苑 花日記

ミツバツツジの新緑  なげ入れ調

若い葉が赤みを帯びる木はよくあります。新緑と呼べるのか、その一歩手前なのか‥‥。赤い色素はまだ弱い葉の組織を紫外線の害から守るため、とも言われます。切れ込みが大きい赤茶と緑の葉がミツバツツジ。花が咲いた後です。
彩流華・なげ入れ調 … ミツバツツジ(葉)、ノリウツギ、アスチルベ、アトランティア
陶花器 … 意匠/華林 制作/前田弥冨  華/華林

写真を大きくするときはクリック、タップしてください。


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2021年05月22日(土) 古流の花だより

紫陽花の自由花

 アジサイ、ガクアジサイとシラン(葉と実)、シオンを生けています。
 ガクアジサイは長く使った花、アジサイはピンクの低い花です。ガクアジサイの方が原種に近い種です。
 シランは花が終わり実ができて葉が大きく育ったころも魅力的、その野趣がアジサイとよく合います。
 自生のアジサイの写真はヤマアジサイ(サワアジサイ)。
   (東南アジアの陶器に。華、写真/理樹=華林) 
 



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2021年05月22日(土) 華林苑 花日記

菖蒲を生ける なげ入れ調

 菖蒲は花菖蒲=ハナショウブとよく間違われます。それもそのはず、菖蒲に似ていて花がまったく違う豪華なもの、という意味のネーミングです。どちらも池に生え、もともとは凛とした姿の葉が喜ばれたものと思われます。古代に青銅の剱が尊ばれたのと似た感覚でしょうか。
 菖蒲は菖蒲湯などで知られます。花はサトイモ科らしい特徴をそなえていますが、地味なものです。いっぽう花菖蒲はアヤメやカキツバタなどの仲間で豪華な花ですが、江戸時代からさかんにつくられた園芸品種、つまり交配で生み出された人工的な植物です。
 同じ水草のカラー(海芋、花と葉)をあわせて古い打ち出しの「薄端」に生けています。
(華は華林) 

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2021年05月22日(土) 華林苑 花日記

紫陽花の季節の禮華

  数年前に生けた禮華です。カエデ、ガクアジサイ、ヤマアジサイ、ススキを生けています。
  じつはこれ、いただいた花材です。一時期は自分で、あるいは切り出しの方と一緒に山野で切った花をさかんに生けていた時期があり、野生のもので水揚げのよいもの、悪いものなどあるていどは頭に入っています。また美しい植物は、生えている場所にも独特の生き生きとした雰囲気があり、そんなことが生け花の原点だと痛感します。
  いただいたカエデなども、その方(蘆原様)がお住まいの地が生き生きとした場所であることを思わせました、金沢のやや山手です。
  (華と陶器などの意匠は華林) 

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2021年05月21日(金) 古流の花だより

一月の花展、江戸の生花と彩流華

 一月に金沢市で開催された花展での拙作。(華林=廣岡理樹)
 江戸時代後期~末期の『再興九谷』とよばれる軟陶に生けています。
 九谷と言えばふつうは磁器ですが、この粟生屋の窯では低温の陶器も焼いています。二代くらいしか続かなかった窯かと思われますが、美しい五彩の彩色は古い時代の九谷ならではのもので魅力的です。これは焼き物としてはかなり大きな「砂鉢」。
 これに江戸時代らしい古流の生花(せいか)を生け、おとなりに新しくてかつおそろしく古い!??彩流華を生けました。
 書・花と額・翁図はいずれも拙作。古流の生花は赤松と万年青、彩流華は椿ほかを自作の陶器、これも軟陶です、に生けています。

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2021年05月20日(木) 古流の花だより

水草の生花(せいか)

 教室でのスナップです。
 江戸の町は「水の都」だったと言われます。江戸時代前期の「なげ入れ」とよばれる生け花の作品集でも、コウホネ、オモダカ、ハスなどなどの水草が多数登場します。
 なかでも多いのはカキツバタです。今では高価な花ですが、当時は多くの場所で目にすることができる水草だったのでしょう。また、古来、和歌にも登場することが多く、とても位の高い花とされました。陸草では菊、水草ではカキツバタが高貴の花です。当時、さかんに品種改良がおこなわれていたハナショウブの生け花は意外と少なく、昭和以降によく生けられるようになったのでしょうか。
 水草の生け花は、生け花であると同時に「水」そのものを表現するといった趣も見られます。花器のなかの花の配置は、水の流れをもみせているのです。
 古流の花では、「出生(しゅっしょう)」すなわちこの植物の個性を正しく表現することを大切にします。写真ではフトイにカキツバタをあわせていますが、それぞれの高さなどに気を配ります。
 ちなみに、カキツバタの名前の由来は「カキツケバナ」とかつてはされたようですが、正しくは古歌のなかの表記のままに「垣津旗」と思われます。「垣」は古い言葉で、「津」は「の」の意味、「旗」は「幡」などとも呼ばれ旗を掲げるのは多くの祭りの印象的なシーンでした。垣根のように美しい緑の株が林立するなかに、紫の高貴の花が咲くさまはこの世のものとは思えなかったことでしょう。紫は水を象徴する色ともされ、まさに高貴な水の精です。

 
 
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2021年05月20日(木) 華林苑 花日記

五軸(五幅対)

 「五行」はアジア・日本の古い哲学です。ここからさまざまな文化芸道、あるいは宗教のあり方が生まれています。
 五行のそれぞれを、つまり木火土金水の在り方を一筆書きのように『円相』として数年前に描きました。そして昨年の金沢市での花展で、この五軸に華を生けました。よく似たころ、東京・元赤坂でのイベントでは、もう一つの五軸を飾って花を生けました。
 五行を表現するものを左右に一列にならべるのは、鎌倉時代のころからはじまったかと考えています。(調べれば、もっと古いものが出てくるかもしれません)それ以前は、東西南北と中央、あるいはそれを平面的に大きな軸に描く、といったものだったようです。
 たとえば「五壇の法」とよばれるものも、鎌倉時代あたりに左右に一列にならべるようになったのでしょう。ただ、これが五行を意味するということはあまり意識されていなかった場合もあるようで、ならび方が不自然な例もみられるようです。
 室町・東山文化のころの床飾りの図などの史料をみていると、五軸をならべてもっとも荘重な飾り方としています。「五行」とは記されていませんが、当時の常識からいって五行を意味する五軸であったことは間違いないでしょう。
 写真の作品の軸は、向かって左から火・土・金・水・木となっています。そしてそれぞれに合った意味合いの華を生けています。

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2021年05月16日(日) 華林のブログ

アジアの色の哲学

 アメリカ・ヨーロッパには「マンセルの色相環」とうのがあります。日本の美術系の学校などでも重視されていたようですが、いまはどうなのでしょうか。
 さて、このマンセルの『色相環』では、色をその光の波長の長さの順にならべています。科学的で素晴らしい発想だと思いますが、つぎに、もっとも波長が長い「赤」ともっとも波長が短い「紫」をとなりあわせにくっつけて『環』すなわち円をつくります。これが色相環です。
 個人的には、赤と紫をくっつけて環にする、という点に違和感を覚えてしまいます。
 いっぽう、アジア古来の陰陽五行の哲学から別の色相環をつくることができます。
 なぜそんなことができるかというと、ひとつには、五行の哲学は〝循環する〟ということが最重要な要素であるからです。こまかい説明は短文のなかでは無理なので省きますが、この哲学によって「環」をつくるときは、ふつうは、もっとも波長が長い赤を上に、短い紫を下に配置することになります。さらに緑、青や黄色などを図のように配置します。ここから、欧米の美学とは違うさまざまな法則を導くことができます。
 次には、図の5色のあいだをどういう色でうめていくか、という大仕事が待っています。論理的な思考と、同時に感性の面でも納得する、そんな図ができあがることを期待しています。その図には、大きな役目があるかもしれませんね。
 (図の制作は華林。禁無断複製)
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2021年05月03日(月) 華林のブログ

熊野本宮

 熊野の神・家都御子神(けつみこのかみ)はスサノヲ神のことと言われます。熊野・大地の伝承に、古い時代に人々がイザナミ神とスサノヲ神を奉じてこの地に来てまつった、とあります。
 今は近くの小高い場所にある熊野本宮大社は、明治のあるころまでは熊野川の中州にありました。中州といってもとても大きなものです。しかし、熊野川は舟で長距離を行き来するほどの大きな川ですから、よく言われる百年に一度の大水で社殿はよく流されていたようです。それでも同じ場所で再建して、長い年月ここで祈りを捧げ続けていました。江戸の絵図で印象的なのは、中洲の上流側の端に玉置山(熊野の奥の院とされる)の遥拝所があることです。
 人間の姿では想像しにくいことですが、エネルギー体、つまり「氣」のあり方、あるいは龍体・蛇体で表現したときのその動き、といえばいいのでしょうか、スサノヲ神はイザナミ神の変化形とされます。言いかえれば、両者とも本質は「陰」、しかし活動する姿ではスサノヲ神は「陽」となります。五行で言えば「水」と「木」の関係になります。ちょっと難しい話です、難解なら聴き流してください。
 蟻の熊野詣で、などと言われたように、この紀伊半島最南端の秘境・熊野へ、古代・中世は多くの人々が参詣し、あるいはここで参篭(行)をおこないました。
 (写真はかつての熊野本宮があったあたりの熊野川。この日は美しい表情をみせていました。2020年10月)
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2021年05月03日(月) 華林のブログ

ウイルスの〝正体〟

ゲノム(遺伝子情報)の解析の手法の確立により、生物の進化などについて驚くべき発見がなされているようです。ウイルスが生物や人間に入り込みその遺伝子に組み込まれることで、普通の「進化」では考えられない劇的な変化を何度かおこしてきた、というのです。つまりは、そのウイルスによる疫病が蔓延して、次の世代?から人体のしくみの重要な部分が変化した、ということです。
  生物が「進化」するということ自体、かなり不思議な話で、高名な科学者が「神」という言葉を口にすることが多いのは、その不思議さに思いを致さざるをえないからでしょう。ましてウイルスによる劇的な進化は、なんとも不思議な話です。
  人間の脳にかんしても、ウイルスによるこのような劇的な変化が(少なくとも)一度おきた、という有力な説があるようです。いっぽう伝統文化の世界では、かなり古い時代に「ある事情で、神は人の古い脳のまわりに新しい脳をつくられた」という伝承があります。似たこと、同じことを違う目線から見ているだけ、という感じがしないでもありません。
  疫病をおこすのは、伝統文化の世界では牛頭天王です。いってみればウイルスをつかさどる神です。これはスサノヲ神と同じ神とされ、大海原を経綸する神、すなわち地球の現実界をつかさどる神です。疫病が流行ったとき人々は故事に倣って『蘇民将来の子孫』という紙を貼ってこの神に祈りその災禍を逃れようとしました。
温暖化で大海原に発生する台風はスーパー台風と化し、まさにこれもスサノヲ神の領域です。でも、人々はこの神に祈ることがなくなりました、つまりは、地球をモノとして扱い自然に対する畏怖の念を失ってしまいました。
いま問われているいちばんのことは、人々の心のありかたなのでしょう。

(写真の「大海原」は石川県珠洲市にて、2020年10月。古来、スサノヲ神の〝リズム〟は三五七とされる。)
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