アジア古来の哲学と自然と芸術

彩流華 華林苑

Sairyuka art and old Asian philosophy rooted in nature.

古流の花だより


 

2022年05月18日(水) 華林のブログ

数の話 その2

 アジアの伝統文化においてもっとも重要な書の一つである「易(周易)」には、よく知られる「天一・地二、天三・地四、天五・地六、天七・地八、天九・地十」のくだりがあります。天の各数を足せば二五、地の各数を足せば三十、天地の総数は五五です。
 天は「陽」、地は「陰」なので、ここに天数=奇数=陽数字、地数=偶数=陰数字への強い意識があります。伝統文化や作法、まつりごとなどでは奇数・偶数の区別を大切にする場面が多くみられますが、そのひとつの原点が「易」のこのくだりと考えてよさそうです。
 これは、前回の【数と循環】では、いってみれば二進法の性格をもちます。日常や伝統文化の多くの場面で奇数=陽数字が尊ばれますが、これはたんに「陽が貴い」とばかりも受け取れないようです。その詳細はまた別の機会に考えてみたいと思います。
 易には、このような数の法則で鬼神(鬼はこの時代では祖霊を意味する)が働く、と書かれ、つまり目に見えない「気の世界」の法則であるとのべています。目に見えない気の法則がじつは人間の美意識や人生に大きな影響を与えている、というのです。また前回の十進法・十二進法・七進法、今回の二進法のほかにも、九進法などは目立たないながらも不気味な存在感をみせています。
 さて、進法の話はひとまずおいて、伝統文化の核心の部分では「ゼロ=〇」が重要な意味を持ちます。
 いまでは誰でも抵抗なく受け入れる〇という数字は、かつてはなかなか理解されないものでした。ここで重要なのは、「無」と「ゼロ」が違うものだということです。ゼロを意味する漢字「零」も「無」とはちがい、「零」はかすかに存在していることを示すものです。
 ゼロはインドで〝発見〟された数字とされます。まったくの無ではなく、中が空であるもの、あるいは「一」の前段階の出発点、といったニュアンスです。諸説はあるようですが、初出はかなり古い時代と思われます。
 アラビア数字(陽数字)ももとはインド発祥とされていますが、アラビア数字の0の字が、中が空である姿、象形になっています。この「空」が、よく知られる般若心経の「色即是空、空即是色」に登場する「空」と同じと考えていいでしょう。
 ちがう言い方をすれば、同じインド哲学の系譜上にある「阿吽=あうん」の「阿」がはじまり、つまり「一」を意味するとすれば、そのまえにある原初状態を「〇」と考えることができます。また、陰陽五行の哲学では、最初に「太極」があり、そこから「陽」と「陰」がうまれ、さらに陽と陰の組み合わせで「五行(木火土金水)」が生まれた、と説きますが、この太極を〇(ゼロ)と同じもの、と解釈することも可能です。現代の宇宙論では、宇宙は百三十八億年前にほんの小さな「点」から始まって急速に膨張した、などとされていますが、この捉えどころのない始まりの部分を「ゼロ」に重ねてみるのもイメージを得るのにはよさそうです。
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 江戸の花道家、歌人、国学者でもあった関本理恩(古流四代家元)が幕末から明治初頭にかけて記した『古流生花太極図説』にも「天数、地数」にかんする記述がある。写真は「地数の事」の小見出しがつけられたページ。


 

2022年05月12日(木) 古流の花だより

5月3日、古流柏葉会の高木恭穂先生の社中のお免状の式が、金沢市岩出町の「ぶどうの木」で開催されました。

厳粛な式の後、美味しい食事をとりながらの祝賀会が和やかな雰囲気のなかで執り行われました。
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2022年05月10日(火) 古流の花だより

お地蔵さま

4月20日のらくやき体験では花器づくりにいそしみましたが、窯入れも無事終わり作品ができてきました。こちらは花器ではなく「お地蔵さま」。
東森久華さん(先生)の作品です。
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 小松の家元先生の教室でも「出張らくやき体験」をする予定もあります。ご興味のある方はお問合せ下さい。


 

2022年05月02日(月) 古流の花だより

勝興寺の大修理完工1周年を寿ぐ「特別華展」(富山新聞社主催)4月23,24日

会場の様子です。
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出瓶は次の方々です。
渡邉理倭、森沢華穂
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北山理光、門島理紀
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澤橋理喜、藤川幸喜
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吉野理白、高森理世、岡田理喜
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大坪巴和、深松紫濃、水野渡月
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河原理佳、四柳明喜加
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以上、順不同


 

2022年05月01日(日) 華林のブログ

数の話 その1

 生け花や伝統文化では『数』が重要な位置を占めます。たとえば伝統的な生け花では「本数」は一種類ごとに奇数とされることが多いようです。ただし「2」だけは奇数あつかいもする、という不思議な考え方もあります。伝統文化につきものの「節句」は、三月三日、五月五日、七月七日、九月九日と奇数が重なる日です。ほかにも数にまつわる話は少なくありません。
 そこで、それらの個別の事例ではなく数にかんする基本的な古来の考え方も見てゆきたいと思います。
 アジア古来の哲学では根底に『循環する』つまり『渦』の思想があります。言いかえればすべてが『らせん状に進む』ということです。それはアジアにかぎったことではありません。そして「数」にも循環や渦、あるいはらせん状に進む、という考え方は反映されます。
 十二支(ジュウニシ)=子丑寅卯辰巳午未申酉戌亥は私たちの生活ではおなじみです。たとえば子年が過ぎて十二年たつとまた子年にもどります。十二で一周期なのでこれは「十二進法」と呼べます。ここでは子年生まれ、辰年生まれ…などどの干支の年に生まれたかが問題となります。これが「循環する」ということです。
 また甲乙丙丁戊…の十干(ジッカン)は十でワンセットなので「十進法」で循環してゆきます。かつては、この十干と十二支を組み合わせる方法で年を表現してきました。六十通りができるので六十年でひと回り、実際に生活するうえでは不便は感じない周期です。甲子園球場など年の干支で命名された例は最近でもみられます。
 十干十二支と呼ぶように、どちらかと言えば十干が主なもので十二支が補助的なもの、という考え方がここにはみられます。「干・カン」は「幹・カン」と同意であり、「支・シ」は「枝・シ」と同意です。つまり幹と枝の関係です。
 もっと身近なものに曜日があります。中東、西洋文明に由来するこの週七日制、七曜日は太陽・月・火星…と七つの天体の動きにもとづくもので、そういう点ではやはり太陽・月・木星(歳星)・火星…にすべてを対応させていくアジア古来の陰陽五行の哲学にもつうじるところがあります。これは「七進法」です。今日でもほとんどすべての人の生活のリズムはこの曜日による七進法によって左右されています。洋の東西を問わず神話でも天地創造の7日間・神世七代など、また人が亡くなると七日周期でお祀りをするなど、七は目にみえない世界の一つの単位となっています。
 つまり、数字にはものの総量、総額を示すという側面と、ここまでみてきたようになんらかの周期で循環してゆくときの「現在地」を示す、という二つの側面があることが分かります。そしてその「循環のなかの現在地」には何らかの性格付けがされます。曜日では多くの会社では土日は休日とか、十干の「甲」はものの始まりの地点、十二支の午は激しい火の様相を呈す、といった具合です。そして特定の周期で循環するとき、その周期が十であるのか、十二であるのか、七であるのか、によって生活や文化が大きく左右されるのです。(次回につづく)
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アジア古来の哲学では「循環する」ということが根底にあるので、季節や月のめぐり、方角などすべて「円図」で表現することができる。季節も月もぐるぐる回転しながらすすんでゆく。十二支が歴史上もっとも早く出現するのが「月」にあてはめる方法で、 一年は十二か月なので合理的だが、不思議なことにこのいちばん合理的な月への十二支の配当が歴史的にみて最初に忘れられ、年・日への配当が今日ではよく知られている。(図/華林制作、禁無断転載)


 

2022年05月01日(日) 古流の花だより

2月20日におこなわれた免状式のようす

金沢市の古流家元花庵(華林苑)でおこなわれた免状式の様子です。
写真は廣岡理樹家元先生が古流四代家元関本理恩先生の詞(慶応年間)を読みあげるようす。
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